| 第23回 「民主文学」 新人賞 |
| 新人賞 冬崎桂「黒 へ」が受賞 佳作に二作品 第二十三回民主文学新人賞は一月末に締め切られ、小説五十六編、評論四編、戯曲五編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説十編、戯曲一編となり、三月二十一日選考委員会が開かれました。そしてまず、下記七編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、下記のように受賞作を決定いたしました。 〈小説〉 高岡啓次郎「我路橋に立つ」 宗澤 亮「ピエロ」 冬崎 桂「黒へ ねむりゆら「ゆるやかに明けゆく」 由自健子「墓での道のり」 堀ヘーミン「バスガール」 〈戯曲〉 市原由美子「静かな職場 AIと共に」 <小説> 「黒へ」 冬崎 桂(ふゆさき・けい) (1999年鹿児島県薩摩川内市生まれ。26歳。 東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。 大阪府豊中市在住。
佳作 <小説> 「ピエロ」 宗澤 亮(むねさわ・りょう) (1986年岡山県倉敷市生まれ。39歳 岡山市在住。準会員。岡山支部所属) 「ゆるやかに明けゆく」 ねむり・ゆら(ねむり・ゆら) (1966年栃木県矢板市生まれ。60歳 宇都宮市在住) 〔選評〕 時代を捉える新風 青木陽子 年齢を考慮した訳ではないが、結果的に一次選考を通過した中での最年少者の受賞となった。題材、方法ともに時代を捉える新風を求める気持ちがあったかと思う。 冬崎桂「黒へ」は、馴染んできた『民主文学』の小説とはかなり違うし、いくつか気になる部分もあったが、文章に表れた感情は説得力を持ち、知らない世界にいざなわれるという小説の醍醐味もある。憲法が作品の時間経過の中で改定されるという近未来の設定で、そうしたぎりぎりの政治状況の下、家父長的で右派の政治家である父親に抑圧され精神を病んだ君と、その君を写真に撮る私。改憲を狙い、この国を戦争に導こうとする趨勢への批判と、柔らかな心を追い詰める社会への抗議の思いが伝わってくる。 ねむりゆら「ゆるやかに明けゆく」は、いじめにあって中二から十三年間引きこもっていた清士が、スーパーで働くことになって少しずつ社会に適応していく様子を、両親や兄とその恋人らの生き方とともに爽やかに描いているが、世の中をやや教条的に解説している嫌いがあって、いささか気になった。 宗澤亮「ピエロ」も『民主文学』ではあまり見ない部類の小説だと思う。格闘技の実戦場面は迫力があって引き込まれた。が、僕が格闘技に打ち込む理由が、母親に人生を破壊されたからとされているのに、母親については僕を嘲り笑う台詞が綴られるばかりで、納得できる描写は殆どない。説得力がないように思った。 選に漏れたが、高岡啓次郎「我路橋に立つ」は、廃墟への道筋をたどる途中までの、時空が揺れるような描写に心惹かれた。だが、過去への急展開は、説明も描写も急ぎ過ぎだし、劇的な終わり方もわざとらしさを残したと思う。 同じく選外の、堀ヘーミン「バスガール」は、白昼夢のような形をとって現実と過去が交錯するファンタジックな作品で、過去を知ることで、現在の状況をもたらしたものと今後の在り方も示唆している。小説の創りとしても面白いと推したが、残念ながら大方の賛同を得られなかった。 日常を生きるたたかい 岩渕 剛 入選作となった冬崎桂「黒へ」は、憲法が「改正」され、さらには「国旗等毀損罪」が設けられる近未来を舞台にして、表現の自由をどう考えるかという問題提起をしている。「表現の自由」とモラルとのかかわりは常に課題となることではあるが、そこについても「攻めた」設定がされているのは興味深い。ディストピア小説はさまざまな形で試みられているが、起こりえる「未来」をどのように日常があるリアルな世界として構成していくかが問われる。この作品は、それに応えている。 佳作となった二作は、格闘技とひきこもりという、表面からみると全く違った世界が描かれているが、どちらも、主人公の若者が感じている社会からの抑圧に対して、それぞれのやり方で「たたかっている」ことがわかる。その点では、「黒へ」の登場人物と共通点があるのだが、宗澤亮「ピエロ」では母親との関係、ねむりゆら「ゆるやかに明けゆく」では、いじめた同級生との関係それぞれの追求が少し書ききれていないことが、佳作にとどまったことになったと言えるだろう。 だれもが生きづらさを抱えているというところに今の世界のありようが見えていて、そこを登場人物の生活に定着させる、それが作品として成立するための条件なのだろう。今回選にもれた方々には、そうしたトレーニングの場でもある、民主主義文学会の各地域の支部に参加していただき、研鑽を重ねてほしいと願う。 一次選考を通過した作品の多くは、主人公の生きづらさを正面からとらえようとしたものだった。最終選考には残らなかったが、文月ぼたん「ぶらり。」が、障がいをもって車いす生活をしている主人公の日常のなかにある社会の無理解を穏やかに告発しているところに共感をもつことができた。日常を生きることそのものが、「たたかい」なのだと認識させられる。 選 評 北村隆志 最終選考に残った作品はレベルが高く、とくに「黒へ」と「ピエロ」はどちらが新人賞になってもおかしくない出来だった。 私は「ピエロ」を新人賞に推した。格闘技の世界を、迫真の臨場感をもって、映画のように描き出す筆力は抜群である。主人公の試合中の思考を通じて、格闘技の頭脳戦の側面を明らかにしたのは最大の手柄である。 格闘技にのめり込んだ原因である母親との確執もすさまじいもので、複雑な人物像がくっきりとして、内面的な奥行きも深い。 人は自分の生まれる場所を選べない。母親に立ち向かってもがく主人公は、戦争・貧困差別と闘う私たちの仲間である。 選考会ではなぜ母親が子どもを傷つけるのかわからないという意見があった。十分書いてあるのだが、それ以上を求めるのは、母親は自分より子どもを大事にするものという社会的固定観念のせいだと思う。 「黒へ」は、若い女性写真家の「私」と美しい男性「君」との出会いが軸になっている。「私」は民青同盟員でもあり、改憲案が国民投票にかけられるなか、表現の自由の制限に、かえって闘志を抱く。「私」は「君」を被写体に、マッチョ的な男性観と天皇中心の家父長制への批判をこめた作品を完成させ、自らの考える芸術の頂点に向けて大きく前進する。 「君」との撮影場面の描写には目を見張った。AV撮影やリアリズム批判などかなり「挑発的」ではあるものの、右顧左眄しない率直さは小気味よい。作中の芸術論も端的かつ的確で、知的センスを感じさせた。 「表層の美をなぞる」せいか、青年像に深みがないのは弱点だが、力のある作品であり、新人賞受賞に異存はない。 選外になったが由自健子「墓までの道のり」も良かった。学生運動の生真面目さゆえの未熟さを、自らの痛切な体験として描いている。作者は準会員なので、ぜひ手直しして投稿してほしい。他の人にもいえることだが、新人賞と本誌掲載の採否は別なのでチャンスはある。 「テーマ」と「題材」 須藤みゆき 受賞作にねむりゆらさん「ゆるやかに明けゆく」佳作に市原由美子さん「静かな職場 AIと共に」高岡啓次郎さん「我路橋に立つ」を選んで最終選考会に臨んだ。 受賞作に選ばれた冬崎桂さんの「黒へ」は、表現の自由が脅かされている現状に対する批判精神を強く感じた。テーマには今日性があり文章もよい。ただ、それを表現するために選んだ題材、作り上げた筋書きがテーマに適切だとは思えなかった。 佳作に選ばれたねむりゆらさんの「ゆるやかに明けゆく」は、主人公が出先で不審人物と間違えられたり付きまといに近い行動を取ったり、引きこもっていた時の緊迫感がよく描かれている。兄の台詞に敗北主義的なものを感じてしまうが、どんな仕事にも価値があり、誇りがある、と感じさせる最後の場面の描写に文学の力を感じた。 同じく佳作に選ばれた宗澤亮さんの「ピエロ」は、作品全体を通して家族に対する葛藤が描かれている。それは文学の永遠のテーマだろう。物事や自分自身を客観的に見て書かれた丁寧な文章も読みやすい。 受賞に至らなかった二作品にふれたい。市原由美子さんの「静かな職場 AIと共に」は、AIに対する危機感が台詞とト書きだけで伝わってきて今日性を感じた。しかし選考委員のひとりから「戯曲の体裁をなしていないのではないか」と受け取れる発言があり、選に漏れてしまった。「小説として書けばよいのでは?」という意見もあった。期待したい。高岡啓次郎さんの「我路橋に立つ」は、母親の死に対しての心の痛みが心象をも表現しているかのような静かな情景描写から伝わってきた。また、一次選考通過作品外だが、間違っていることを間違っていると言えない社会の有り方に対する批判を、それに抗うかのような主人公の行動で描いた末長敬司さんの「消えない泡」が印象に残った。 生きづらさを抱えて 最上 裕 最終選考会には、「黒へ」が好ましいと思ってのぞんだ。今回の多くの応募作品には、社会における耐えがたい生きづらさが通奏低音として流れている。 「黒へ」では、写真家の私は、民青の街頭活動中に美しい青年に出会い、モデルを依頼する。時代は、右派による憲法改正が承認される近未来に設定されている。青年の父親は右派の市長で、父親の支配に苦しむ青年は精神障害を抱え、リストカットを繰り返している。政治と芸術が混淆したエキセントリックな題材をまとめあげる文章力に感服した。希望が見えないが、社会への警告としての意味があると思う。 「ゆるやかに明けゆく」は、中学二年で不登校になって、十三年間引きこもりを続ける清士が、淡々と現実を受け入れ、自分や家族の生き方を振り返る。しかし、女友達とも別れるという兄の言葉を聞いた清士は、「そんなのはいやだ」と強い感情につき動かされる。置かれた場所で咲くのだと言いつつ、心の底では、自分の人生を諦めきれない、不条理な社会への怒りがのぞく。 「父になる」は、災害に痛めつけられても、なんとか生きていく人間のつながりを描いている。阪神淡路大震災で両親を失い、天涯孤独の村井彰は、震災から二十九年が過ぎ、バイオリン教室で高校生の沙希に会う。彰は失踪した沙希の父を探し出すと約束する。地震、原発事故の災害で放棄された各地の風景描写がもの悲しい。ただ、沙希の父親が家族の下へ帰らない理由が胸に落ちなかった。 「名もなき教師の語り草」は、教師が生徒を理解するには愛が必要だと説いている。三十二歳の中学校教師である「ぼく」は、授業中に漫画を読んでも悪びれた様子もない内田隆に手を焼いている。しかし、内田は弟を世話するヤングケアラーであり、親から養育放棄され児童相談所に保護されて、「僕は捨てられました」と言う。深刻な状況だが、教師と生徒、父親との掛け合いが、ユーモラスである。
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