「労働者の現状と文学研究会」 (2013年11月)


   人はなんによって人となっていくか―─職場を描いた一連の作品を読んで  
 
 十一月二十一日(木)、『民主文学』十月号、牛久保建男論考「人はなんによって人となっていくか―─職場を描いた一連の作品を読んで」をテーマに、乙部宗徳氏の報告、櫂悦子氏の司会により、十名の参加で行われた。
 乙部氏は、若い働き手の半数近くが対等な人間扱いされない非正規雇用という現状は、人間が人間らしく生き成長して行ける質をもつ社会の形成継承の問題であり、各働き手にとっては、小関智弘が示した「働きながら人となってゆく」過程の剥奪であるとの論考の問題意識を指摘しつつ、雇用形態や労働条件だけでなく産業・技術・日本型雇用の変化としても事態を見る必要があると付言した。
 ついで、論考が挙げた各作品に触れて、個々の労働者の働くことへの誇りが歪められ奪われている現状と苦悩、それがブラック企業がはびこる企業社会の歪みに由来することは示唆されているが、その前史から連なる日本型雇用の変化などの社会構造に迫るパースペクティヴは稀薄であると論評。社会的分業と労働分割を極限化させた現代社会において、人間の協業を自然発生的な所与のものとしていては労働の自己疎外から解放されえないというマルクスの労働疎外論の発展を紹介した。
 その上で、「労働者をどう捉え/描くか」という課題について、文学に必要な思想≠ヘこれら作家が素材とした劣等感や違和感の「根源を見つめる眼」だとする論考の部分を引用しつつ、エンゲルスがいうように、それは決して作家の思想的見解などではなく、むしろその見解に反してさえ現われるリアリズムの眼だと指摘。宮本百合子「作家の経験」(一九四七年)でも、労働者がたたかいの必要性に目覚め組織化された時点で満足してはならず、さらに集団の内外の矛盾や、運動に加わる諸個人の人間的成長(社会的拡大)を丸ごと具体的に描く課題がプロレタリア文学を受け継ぐ上で強調されていると指摘した。
 討論では、戦後の労働運動が築きあげてきたものが雇用形態の複雑化による労働者分断で後退を重ね、出発点に戻ったかのようだ、ハイレベルの経営管理層でさえ使い捨てになる、労働の意味を問うことさえウンザリという空気が教育現場に蔓延している、皆の頭の中に新自由主義が浸透し希望格差が拡大しているなどの現状認識が交々語られ、論考が挙げた諸作品の描写力には驚いたという感想、「誇り」が一つのキーワードになるのではないかという指摘が出された。牛久保氏からは、自分の周囲だけ見ていては社会の動きによる現状は見えてこない、文学が人間を描くとしても、「なぜ」という眼を忘れずに表現したい、というコメントがあった。
     
 
  (松井 活)    

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