「批評を考える会」 <2012年11月> 

 「食らうべき文学史」


 「批評を考える会」の例会は十一月二十四日夕刻六時半より文学会事務所でおこなわれた。参加は十四人。報告者の岩渕剛氏は、石井氏の「食らうべき文学史」(『クラルテ』第四号)を各章ごとに報告し、イーグルトン、伊藤整も引用され難解ともいえるこの論文をわかりやすく解説した。内容は「芸術の起源と本質」「文芸批評とイデオロギー」「言語の指し示しているもの」「近代小説の特徴」「人の心にとどける批評」などである。
 討論では、「読書は創造である、と言う人もいる。本格的な読者論も必要である」、「イデオロギーと言う言葉がこの評論では重要な位置をしめているが、一般に使われる概念と違うものではないか」「文芸社会学とは何か」などの意見がだされた。石井氏からは、論文中の「イデオロギー」の説明があり、また「文芸社会学」に関し、若者を蝕む文化的危機を、ゲーム作家と依頼主との関係を例にとって生々しく報告された。言語によって伝えられるのは意味ではなく共同体の確認である、というユニークな見解も紹介された。
 最も関心を呼んだのは「作品のリアリティとは作品が再生産される(その作品を読むことで、私が戦いを挑まれる)イデオロギーの現実性のことであり、説得力のことであり、『描写』の客観的精密さのことではない。繰り返して言うが、『描写』の向こうには、『客観的』現実は存在しておらず、『客観的』現実と取り組んだ経験を元に『主観的』に(つまり心や頭の中で)構成したイメージがあるだけなのだから、こちらのあり方の方が『描写』の本質を規定していて、客観的精密さは二義的な位置にあるのだ」という一文。私などは自分の創作を省みて大いに思い当たるところがあったが、もっと深く検討してみるべき見解だ、と述べる人もいた。歌人の水野昌雄氏、プロレタリア作家、貴司山治の御子息の伊藤純氏も参加された賑やかで有益な会だった。                
(風見梢太郎) 

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