「批評を考える会」 <2008年2月> 

 


 二月二十八日(木)に「いま多喜二をどう読むか──『民主文学』二月号“小林多喜二没後七十五年特集”各論考ほか」をテーマに、二十一名が参加して行われた。報告者・牛久保建男氏は、なぜ多喜二の作品が人々の記憶に残り、語られているのかという角度から、一、多喜二虐殺の衝撃は、多くの作家等になだれを打つような意気阻喪と運動離反を生んだとみるむきがあるが、プロレタリア作家に限らず広範な人々に、同情・怒りや多喜二の志を受け継ぐ決意も生じさせた。二、多喜二の作品は死後十二年間「国禁の書」扱いを受け伏字に充ち全集編纂もままならぬ状況だったため、終戦九年後の最初の完結全集刊行まで営々と続けられた無数の人々の原稿保存・伏字復元の苦労があって初めて、今日ほぼ完全な姿で私たちは読むことができる。そこには多喜二の業績を抹殺させないという人々の思いがあった。三、私たちが現在、多喜二の業績と生涯を知ることができるのは、丹念な調査と厳しい事実考証に立脚した手塚英孝や多くの人々の仕事に負っている。今後もその厳密な研究態度を守り発展させて行くべきである。四、「『蟹工船』エッセーコンテスト」に見るように、「蟹工船」が現代の若者に、「生きにくい状況」への連帯した闘い、見え辛い「生きにくさの根源」を社会の仕組みまで掘り下げて掴むことの必要性を教えるという、新しい状況が生れている。五、前々日行われた杉並多喜二祭・不破講演において、「党生活者」が生きた反戦闘争を描いたとの指摘とともに、いわゆる笠原問題を「人間を変化・発展の中で描く」という多喜二の挑戦との関係で見る等、興味深い言及があったことなどを報告した。牛久保氏は、最後に多喜二を「政治の犠牲者」と見る論調を批判的に克服する必要性を付言し、秋田多喜二祭の報告も兼ねて、北村隆志氏から関連の発言があった。また、蠣崎澄子さんから第七回神奈川多喜二祭の報告があった。
 後半の討論では、多喜二の作品の現代に通じる力が感じられたという全般の感想の他、笠原問題を「作中に意識的に持ち込まれた後編で解決されるべき関係」と推測する新しい見方に刺激を受けた、戦争が日本社会に落す影を描くという多喜二の「反戦文学」規定の中で、佐々木と笠原の破綻を個人で解決できない時代の影として描こうとしたと理解できるのではないか、後編での佐々木・笠原の成長よりは、佐々木・伊藤ヨシ関係の発展の方に伏線を多く感じる等大田論考に関連した意見、乙部論考における伊藤整と多喜二との関係についてなどの意見が交された。     
(松井 活)

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