「作者と読者の会」 2011年11月号 



 十月二十八日に開かれた作者と読者の会では、十一月号の高橋英男「目白通り」、田口京平「山の郷のはなし」の二作について話し合った。司会は澤田章子さん。出席者は十三名。
 「目白通り」の報告者は風見梢太郎氏。風見氏は、登場人物が主人公ら新聞奨学生五人、相談相手の相良とマリ、新聞店主とその妻、娘など、程良く絞り込まれ人物像が描き分けられていること、次いでストーリー構成の概要を分析したあと、「学生新聞配達員の実態を描いた好編、しかも要求に基づく闘いと挫折を真正面から描いているところがよく、感動がある。こんなことをしなくては成り立たない大新聞のあり方、社会のあり方を考えさせる作品。生活苦の中の切羽詰まった配達員の心情が鋭い緊迫感をともなって読者の心をつかむ。新聞社のあくどい手口を描くとともに、配達店主の苦しさにも目がよく届いている。細部の描写も優れている」と報告。「新聞社の攻撃の本質、全体としての動き、歴史的経過があればなお良かった。相良の位置づけはどうか、個人プレーに見えるが指導の責任はないのか。主人公が通う大学の様子も点描でよいからほしい。描写と説明は場面で切り取ること」など不満点も挙げた。
 「本誌初登場の新人の作品が巻頭に掲載されるのは異例だが、それにふさわしい力作で面白かった」「新聞販売の仕組みがよく分かった。こんな内情を具体的に描いたのはこの作品が初めてではないか」「同時代に同じ文京区の大学生だった者として親近感を感じながら読み、とても感動した」「当時の暴力的な学生運動が盛んだった時代背景を書き込んでおけばもっと良かったのでは」などの感想や、「当時の奴隷労働のような新聞奨学生の搾取実態が生き生きと描かれ、店主の上にもっと大きな支配者がいることにも目が届いているところが良かった。人間が深く描けていればもっと良かった。読み終えた後に人間が印象に残る小説を描いてもらいたい」と注文も出された。
 作者の高橋氏は「弟の首切りが題材でどうしても書きたかった。もっと人間を描けとのご指摘があったが、みなさんからもたくさんのご意見をいただき感激している。これを励みにこれからも創作に頑張りたい」と謝辞。なお、高橋氏はその場で民主主義文学会に入会した。
 「山の郷のはなし」の報告者は小川京子氏。小川氏は冒頭、桑原武夫の『文学入門』から「小説はいきなり読んで誰にもわかるはずのもの。予備知識を必要としない開放的な民衆芸術」という一節を紹介。作品の構成を4章に分け、1、4章が栃谷分校から白川村の学校までの道中、2、3章が三年間の僻地での教育と生活の回想になっていると、粗筋を分析。「若い夫婦教員のいちずな、ういういしい教員像が浮かび上がって感動した。道中は映画を見ているような風景描写と和吉の語りがよい。白川郷に行ってみたいと思った。僻地の分校で恵那の生活綴り方教育の伝統を踏まえた教育実践に感動。しかし、教育に携わっていない読者は、恵那の教組の教育運動は分からないし、勤評闘争も知らないだろう。時代背景、歴史、地理などを短編に切り取るとき、どのように描き込めば一回しか読まない読者に伝わるだろうか。やはり調べなければこの小説の深みは分からなかった、予備知識を必要とする小説であった」と興味深い報告があった。
 「教育の反動攻撃が強まった困難な時代に、民主教育を守れと闘い続けた教員たちの姿に感動した」「山奥の分校は地域の人々との交流は書いてあるが、子どもたちの教育活動が描かれていない」「あれもこれも書き込み過ぎで、全体を貫く熱いモチーフが感じられなかった」「作者が体験したことを綴った自分史を読まされているようだった。出来事が盛りだくさんで、かなり整理しないと短編では無理じゃないか」「短編では、場所が移動したり登場人物が新しく変わるのは無理で、読者は付いていけない」などの感想や短編小説の創作課題が話し合われて有意義だった。
 二つの作品について「最後に合掌造りの家並みを見下ろすところがいい。この作品は①清瀬村の学校では組合攻撃との闘い、②栃谷分校では僻地の地域の中心的な存在である分校と住民の交流の二つのテーマに分かれている。作者にとってのテーマであっても読者にとってはなじめないテーマではないか。きょうの両作品は最後の場面で去っていく人を見送っており、人生を見つめる目があってよかった」と評した。田口京平さんはご高齢で岐阜県在住のため参加されず、作者の声を直に伺うことができなくて残念だった。
  
 (大石敏和)  
「作者と読者の会」に戻る