2003年の第20回大会報告です。(第21回以降の大会報告)              
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  21世紀初頭の激動に真向かい、民主的文学運動の質量ともの飛躍を
         ――日本民主主義文学同盟第20回大会への幹事会報告――

                                                                            報告者  新船 海三郎
 

 一、第二十回大会と民主主義文学運動

(一)平和を求める国際世論と努力を踏みにじって強行されたイラク戦争は、米英軍が圧倒的な軍事力によってイラク全土を支配下におき、フセイン政権を崩壊させた。
 日本民主主義文学同盟は、平和の国際秩序を規定した国連憲章に反し、十五歳以下が人口の多くを占めるというイラクの無辜の民を理不尽に殺傷するこの戦争を、無法、野蛮、非道以外の何ものでもないときびしく批判してきた。米ブッシュ政権は、「戦闘の終結」を宣言し、軍事占領を背景に親米政権の樹立をはかろうとしているが、私たちは、無法な侵略戦争のうえに、新しい植民地主義に乗りだそうとするこの暴挙を、断じて認めるわけにはいかない。
 日本民主主義文学同盟は第二十回大会の名において、米英軍のイラクからのすみやかな撤退と、イラクの復興支援は国連中心でおこなうことをつよく要求する。
 イラク戦争の経過は、「新保守主義」を背景とした米ブッシュ政権の「国家安全保障戦略」、一国覇権主義の無法と狂暴さを浮き彫りにした。
 今回のイラク戦争が、先制攻撃戦略をうたう「戦略」の最初の具体化としておこなわれたことは、米政府高官が名指しするシリア、イラン、北朝鮮などにとどまらず、世界各国と地域が米政府の恣意によって攻撃目標にされうることをしめしている。「やられる前にやる」式の軍事戦略と、圧倒的で「高度に精細」な軍事力は、無辜の命を奪い、歴史文化を潰滅させるにあり余るものである。
 私たちは、二十一世紀の世界はこの一国覇権主義の野望を認めてはならないと考える。
 イラク戦争はまた、わが国小泉政権の、初めに米支持ありき、の追従しかない態度の重大性を明らかにした。
 小泉政権は、戦争回避のためにはなんら行動をおこさず、開戦を促すかのようにペルシャ湾にイージス艦を派遣し、開戦に際しては論拠も曖昧に米英支持を世界に先駆けてしめした。そしていま、米国防総省の軍事占領組織「復興人道支援室」への政府要員の派遣を決めている。「占領行政は交戦権の行使」として憲法九条に照らして否定してきた従来の政府の態度を一変させるそこにも、対米追随しかない無定見な政府の態度が明らかである。
 この政府のもとで、国際紛争の解決の手段としての武力行使を戒め、戦争放棄、恒久平和、戦力不保持をうたったわが国憲法は、これ以上なく乱暴に踏みにじられている。
 一九九〇年代末からの数年間、わが国は戦争のできる国、戦争をする国へと急傾斜の道をすすんできたともいえる。「99年問題」の重大性と指弾された「日の丸・君が代」の国旗・国歌化とアメリカの戦争行動に自動参戦する「周辺事態法」(戦争法)の強行。つづく、アメリカのアフガン攻撃への協力・加担と自衛隊「出兵」のためのテロ対策特別措置法の施行。それらを総仕上げするかたちで今国会に再提案されている「武力攻撃事態法案」をふくむ有事三法案に端的な「参戦」とそのための国民総動員の義務化への動きなど、まさに目を覆うばかりである。これに符節を合わせるように、通信の秘密を蹂躙する盗聴法、プライバシーを侵す住民基本台帳とそのネットワークが施行され、個人情報保護の名のもとの言論・表現の自由への規制が企図されている。
 わが国のジャーナリズム・言論界の大勢はこれに無批判に追随し、イラク戦争をめぐってはアメリカと日本政府の側に立った報道をくり返すだけのものもある。二千万人にのぼるアジアの人たちの命を無惨に奪ったかつての日本の侵略戦争を、「大東亜共栄のための聖戦」と美化する歴史修正の発動舞台になるメディアもあった。わが国の言論・表現もまた、「戦争前夜」から「戦時」の様相を一方で呈している。
 私たちは、今国会での強行がいわれている有事三法案、ならびに個人情報保護法案の廃案をつよく要求するものである。また、わが国をアメリカの戦争に引き込む背景とも根源ともなっている日米軍事同盟の廃棄を求めるものである。
 イラク戦争はしかし他方、なによりも平和を希求する声と行動の歴史的な、世界的なひろがりをしめした。
 「戦争ノー」「査察継続による平和解決を」と地球を一周して世界六百以上の都市を連鎖的な反戦の波でつつんだ2・15行動を第一波として、未曾有の規模で反戦の声と行動がひろがるという人類史上かつてない事態が生まれた。国際的な理性は、国連を米英を支持するいかなる態度もとらせず、そのことによってこの侵略戦争の不法、不当性を際だたせた。開戦前に、そして開戦後はなおいっそうひろがりを見せたそれは、覇権主義や力の均衡ではない新しい世界平和の秩序をつくりうる、新しい世紀の新しい歴史の扉を開くものになろうとしている。
私たちは、この新しい歴史のながれに合流していることに誇りと確信をもつ。
 文学同盟は、9・11テロと報復攻撃、日本の「参戦」行為に反対し、わが国の作家・評論家四百余人にそれぞれの立場で発言、行動をと森与志男議長名で呼びかけた(九月二十六日)。テロの衝撃と戸惑い、「世界同時反動」とさえいわれた「報復やむなし」の言論界の様相から、一時は虚無的になりがちだった日本の文学者もまたその後、個々にあるいは共同してイラク戦争と日本の協力加担に反対して声をあげている。日本ペンクラブによる二度のシンポジウムの開催、津上忠を発起人の一人とした2・14、3・15集会など、文学者や文化人共同のイラク戦争反対の集会呼びかけもあった。池澤夏樹はイラクに入り、どういう国がミサイルや爆弾の標的にされているか、と問いかけた。こうした諸行動は、湾岸戦争時の文学者の対応とは明らかに違った、自発と共同の意思をともなったものとしてひろがっている。政府案の個人情報保護法案を言論・表現全体に国が網をかける統制法だと批判した日本文芸家協会の対応も注目されることだった。
 重要なことは、こうした日本文学と文学者の理性と良識、批判精神の健在をうかがわせる言論と行動のひろがりが、わが国の文芸ジャーナリズムを現在のところマスコミ・言論界の大勢追随の流れに同調させない背景の力ともなっていることである。
 日本民主主義文学同盟第二十回大会は、このようななかで開かれる。
 折しも今年は、小林多喜二の没後七十年、生誕百年にあたる。日中戦争の全面化からやがて太平洋戦争へと突き進むとば口で、侵略戦争反対をその文学世界から果敢に呼びかけたことを最大の理由に、天皇制権力によって若い命を奪われた彼を先人にもつ私たちは、その志をいまに受けつぎたいとあらためて決意する。小林多喜二をふくむ戦前のプロレタリア文学運動と戦後の民主主義文学運動に学びつついまある私たちは、なによりも、戦争の理不尽と無惨に反対し、平和と自由、民主主義を求める人々の奥深い力の泉になりたいと願う。
 第二十回大会は、この間の成果や弱点をさまざまに論議、検証しつつ、そのための創造・批評の指針をしめし、明日の民主主義文学の豊穣を期すだろう。

(二)文学同盟第二十回大会はまた、一九六五年の同盟創立以来の「規約」、とりわけ文学同盟組織の基本的な性格、活動の目的などにかかわる諸点の改正を提案する。
 規約改正の中心は、今日の歴史時代が提起する民主主義文学への負託にこたえるとともに、創立以来の成果をふまえ、私たちの運動をよりひろく、民主的進歩的な文学を求める人ならだれもが参加できる組織へと発展させるところにある。そのために、わが国の文学・芸術の民主的進歩的発展にひろく寄与していく運動体という組織の性格をより明確にし、名称も日本民主主義文学同盟から日本民主主義文学会へと変更することを提案する。
 文学同盟は一九六五年八月、戦後の民主主義文学運動をになってきた新日本文学会が、特定の政治的立場や特異な創作方法を押し付け、これに反対するものを強引に排除するなど、創立の精神をまったく投げ捨てて変質したことによって創立された。
そうした経緯をふまえ、「日本民主主義文学同盟は、人民の立場に立って日本文学の民主主義的発展をめざし、それぞれの文学的、社会的活動によって民族の独立と平和と民主主義のためにたたかう作家・評論家の団体である」と規約「総則」で組織の性格、目的を規定した。これは、新日本文学会が第七回大会(一九五五年)で規約を改正し、「総則」で「新日本文学会は、みずからの創造、批評、研究によって平和擁護、民族独立、民主主義のために自発的に活動する文学者の自発的組織である」と規定した会の性格を受けつぐものでもあった。
 文学同盟に参加した多くの書き手は、わが国の現実に目を凝らし、社会と人間の真実に迫り、人々の生きていくはげましとも支えともなる作品を生みだしてきた。特定の政治的立場でも、特異な創作方法でもなく、民族独立と平和と民主主義を求め、その立場からモチーフ、テーマ、題材を深めて作品創造にいどんできた。それは日本文学にかけがえのない位置を占め、その民主的発展をうながす底流ともなり得てきた。
 しかし、創立から三十八年という時間の経過は、文学運動内の世代交代とともにわが国の政治社会状況、また文学動向にも小さくない変化をもたらしている。それは、規約の文言を適切なものへと改変することを求めているだけでなく、民主的文学の創造と批評、普及の諸活動を通じてひろく文学・芸術の民主的進歩的発展に貢献していくという組織の基本性格を、いっそう明確にすることを要求している。
 文学同盟第二十回大会は、創立以来三十八年の成果のうえに、二十一世紀へさらに文学運動を大きく発展させ、それによって人々のゆたかな精神生活に寄与していくものであることを、より明瞭に規約に記したいと考える。それは、アジア・太平洋戦争の無惨と廃墟のなかから、新日本文学会が「日本文学の…(略)…民主主義的伝統に立ち過去の日本文学の遺産の価値高きものを継承し…(略)…真に民主的、真に芸術的な文学を創造し、日本文学の高き正しき発展のために結合してその全力を傾けねばならぬ」と出発した、民主主義文学運動の原点を今日から明日へと発展させていくことにもなるだろう。
 日本民主主義文学同盟の創立から三十八年。私たちは、二十一世紀初頭に私たちの運動がここに立ち至ったことを確信しつつ、さらに文学の土壌をひろくゆたかにし、多様多彩に実るものにしていきたいと決意する。
 規約の改正は、創造団体としての性格をより明確にするものであるが、同時にそれは、私たちの運動が平和と民主主義を求め、社会の民主的発展のために諸団体と協力共同していくことをいささかも軽くするものではない。文学運動とこれに参加するすべての書き手は、引きつづき社会的発言と行動に積極的であることが求められる。
 私たちの文学がよりひろく、かけがえのないものとして読まれ、求められるものになっていくこと、また文学運動がそのような広範な人々とともに歩もうとすることは、同時に、私たちの文学的力量が真にためされることでもある。文学的研鑽はもとより、現実社会への積極的な関心、深い人生観・世界観など求められるものはけっして小さくない。
 第二十回大会は、波浪高い二十一世紀にそのような文学を求めて船出する。そこに、民主主義文学と日本文学の未来もあろうと確信する。

 二、現実をリアルにとらえ、真摯な対応をみせる日本文学

(一)日本文学はこの間、民主主義文学をもその一翼として、わが国と世界の現実をリアルにとらえ、創造・批評はもとより社会的発言と行動においても理性と良識を発揮し、真摯に対応して実りある成果を生んできた。とりわけ、戦争と平和をめぐるするどく激しいせめぎ合いが展開されてきた前大会からの二年間は、平和への文学的理性が顕著にしめされ、戦後の日本文学が無為に歴史を刻んでこなかったことを証している。日本文学の危機、衰退は、出版不況とかさなっていっそう深刻になっているが、打開を模索する独自のこころみとあいまって、この間の日本文学の健闘はやがて新しい出路を見出すにちがいない。
 9・11テロと米ブッシュ政権によるアフガンへの報復爆撃、引きつづく対イラク戦争、小泉政権の追従という事態を前に、日本の文学者はなによりもその作品世界から異議を唱えた。
 日野啓三はさながら遺言のように、マンハッタンの傲然とおぞましい夜景に代わるべき新しい未来風景をつくり出さねばならない、と小説世界から語りかけた(『落葉 神の小さな庭で』)。金石範「虚日」は、民族性を保持しながら日本への帰化もいとわないニューカマーと、拠り所をなくしている「在日」を対照し、その虚と実に、世界をテロリストとそれ以外に二分することでどのような事実がつくられ、隠されるかをかさねた。
 ともに書き下ろしの村上春樹『海辺のカフカ』、大江健三郎『憂い顔の童子』は、前者にはオウム真理教の地下鉄サリン事件や神戸の少年A事件などが影を落とし、後者にはアメリカ中心のグローバリゼーションが富と権力を集中する現代資本主義の巨大な矛盾がとらえられている。両者がそれぞれの世界から問うのは、理不尽な暴力に抗い、その世界矛盾を解き放つ力をどこに求めるか、いまを生きる私たちのなかにはないのか、である。
 私たちもまた、第二回幹事会(二〇〇一年十二月)で、日本を「戦争をする国」へと一気に変貌させようとする、戦後史を画する事態を前に、民主主義文学はどうあるべきかが問われていること、答えは容易ではないが少なくともその問いを発して文学に向かう責任があると問題提起した。提起は、書き手それぞれのモチーフとも共鳴し、作品に結晶させられた。
 右遠俊郎「母の秋」は、母の死に「満州」時代の生活を思い起こし、アフガン難民の姿をそこにかさねて暴力と報復の連鎖をどうくい止めるかと問いかけ、吉開那津子は9・11テロの数ヶ月前という時間を設定して「ペンパル」の世界を構築し、貧富の格差やマイノリティとマジョリティなどアメリカ社会の構造的なゆがみ、差別をとらえることで事件の予兆を想像させた。稲沢潤子「メコンの蛍」は、ベトナム戦争を遠因とする孤児の少女の健気でひたむきな姿をとらえることで、無数の彼女たちをふたたび生むことを拒否するつよい意志を静かな抒情のうちに描き出した。
 宮寺清一「相良の遺言」、辻本ひで子「生きる」、永井潔「関原じいさん」などをふくめ、私たちがこの間、9・11テロと報復爆撃という歴史的事件に目を凝らし、爆撃下の無惨な死、命の理不尽な蹂躙に憤り、無辜の民へ想像力をひろげて少なくない作品を生みだしてきたことは、日本の文学全体にとって重要なことであった。
 また、わが国の「戦争をする国」への傾斜ぶりは、作家たちにアジア・太平洋戦争下の日々や戦後の民主化から「逆コース」への道を思い起こさせ、また「昭和」の時代をふり返らせた。
 大庭みな子「江田島」、加藤幸子『長江』、高井有一『時の潮』、加賀乙彦『雲の都(第一部)』、森与志男『戦後の風』などの諸作品が問いかけるのは、侵略戦争の事実を糊塗するばかりか「聖戦」と美化する思潮に対峙して、今日から明日へと生きる者がかつての時代から何を受けつぐか、である。一九五〇年代初頭の「逆コース」時代の学生生活に材を求めた岡松和夫の短編集『無私の感触』は、静かな筆致のなかに平和・民主の希求をこめた作品群を集成した。
 松田解子が敗戦直前の秋田県花岡鉱山で起きた事故の、日本人と朝鮮人犠牲者に思いを運ぶ「ある坑道にて」には、戦争が引き連れ、資本の凶暴で加重された悲劇の真を問い、それを現代にかさねるつよさがある。永井潔が連載エッセイ「ごまめの呟き」で言語や文化の現実を探り、歴史をたどりつ問うのもまた、この国と世界の現代にほかならない。

 歴史は愚かにくり返すのではなく、歴史に学ばない人間の愚かしさこそ戒め、批判されなければならないとしたら、かつての時代を甦らせ、明日を想像させる文学の力こそ今日もっとも必要とされなければならない。これらの作品は、文学のその力を確信しての営みだったともいえる。
 井上ひさし「太鼓たたいて笛ふいて」(戯曲)、右遠俊郎「伊藤久男・イヨマンテの夜」などが問う文学者の戦争責任や、時代にどう向き合い、何を書くかという声に、私たちはいま謙虚に耳を傾けなくてはならないだろう。
 前大会後の二年間に『ハンセン病文学全集』が刊行されたことは、日本文学氏に特筆されることだった。人間存在の意味とその尊厳、生への希求を問い、描き出した作品群は、第三十四回多喜二・百合子賞を授賞した冬敏之の諸作をはじめ民主主義文学がその重要な一翼を担ってきたことは、私たちの深い確信にすべきことである。

(二)年間失業率が五・四%をこえる(二〇〇二年)というかつてない事態をはじめ、底の見えない不況、就職難、さらに年金、医療、福祉、教育の切り下げ、切り捨てなど、国民生活は今日、かつてない危機に追いつめられている。
 阪神淡路大震災を描いた小田実『深い音』は、崩壊のなかからも生まれる新しい命に希望を見つつ、この国のことあるごとにとる「棄民」政策を批判した。いったいこの国は、と国民には向かない為政の不当を大地の揺動に仮託して衝こうとした。
 佐江衆一が『わが屍は野に捨てよ ― 一遍遊行』でとらえるのもまた、鎌倉中期と同様に映る「世情混濁して餓死者野に充つ」現代であり、民衆を脇目に権力争闘に明けくれる為政者の姿であろう。
 しかし、今日ほど政治と生活が直結していることがよりあからさまになっている時代はないにもかかわらず、文学から生きた人間の態様や生活、それを通した現実の匂いが消えている時代もまたない。企業に吹き荒れるリストラ、大失業時代、就職難、出口の見えない不況、倒産など、わが国経済と生活の深刻な危機は、しかし文学世界に形づくられては来ていない。
 現代文学の危機、衰退は、多様な原因の複合したものであるにはちがいないとしても、社会の現実と人が生きることとの関係をとらえるさいの、文学の側の後退あるいは退廃、回避もしくは迎合、追随の面を指摘することは、あながち的はずれではないだろう。
 現代社会を何を光源として照らし出すかはつねに作品世界を創りあげていくうえでの重大事であるが、歴史を愚かなくり返しと見、閉塞感と未来への不透明感から出路を見出せず、虚無と諦観に陥るなら、文学は現状の無批判の追随者か、あるいはやみくもな破壊を肯定し、英雄を待望するほかなくなってしまう。第十四回三島由紀夫賞の中原昌也「あらゆる場所に花束が……」が、選者の一人から「理由も対象もない暴力や、怒りの発散とセックスがくり拡げられる、というだけの話」といわれながら受賞するところに、文学の衰退、危機と、文芸ジャーナリズムの傷ましく深い病根があるといわなければならない。
 現代社会の不気味と抑圧的空気、先行きの不透明をもっとも敏感に感じているのは青少年である。現代社会とその人間関係に傷つきやすい彼らは、不登校、引きこもりなどの自衛的態度をとり、また、救いを求めてリスト・カットなどの衝動行動にも出ている。
 第三十五回多喜二・百合子賞の旭爪あかね『稲の旋律』が民主主義文学のものとしては近年に例を見ないほどひろく読まれた背景には、そのような、人間存在を特徴づける労働を基礎とする社会的関係の崩壊や、人間の存在そのものをも摩滅、抹消しかねない、勝者を選りすぐる淘汰社会がある。とり繕うことへの嫌悪から対人関係をもそこない、漠然とした不安を生きる主人公に効率至上から切り捨てられていく日本農業をかさねた作品は、個の顔をもって生きたいと願う多くの人の心をとらえ、現代という時代をも照射した。
 生きがたい現代にある若者は村上龍『最後の家族』などにもとらえられたが、第百二十七回芥川賞の吉田修一「パーク・ライフ」には、死んだ人間の臓器が別の人の体のなかで生き続ける何とはなしの不気味など、若者たちをつつむ現代社会のある種の空気とそこから抜け出したい若い気持ちをとらえようとしている。存在を覆うかのようにある現代社会の空気は、若者たちに分かり合える友や愛、優しさを求めさせている。
 少なくない若手作家たちもまた、若者がおぼえる現代社会への違和感をそこでとらえようとしている。一つの気分やある種の空気のようなもののなかにそれを見ようとするこころみは、しかし同時に、気分や空気が何によって生みだされているか、その根源を突き止めようとする作者の目や心の働きを求めるものでもある。愛や優しさが彼らの社会参加の契機や明日へ生きていく力の発現となるには、作者のその認識や意思にかかるといってもよい。第百二十八回芥川賞の大道珠貴「しょっぱいドライブ」に漂う、成り行きまかせの何もしたくない気分が仮に現代の若者をとらえている共通のものであるとしても、その作者の認識と意思がなければ、つくられた作品世界が人生に働きかけてくることはない。
 現代の若者を描く多くの作者たちがそれを突き破るとき、現代青年の歩足は文学世界により確かなものになり、新しい文学もまたそこに芽を出してくることだろう。

 三、民主主義文学の質量ともの飛躍を

(一)民主主義文学の創作はこの二年間、ますます生きがたくなるわが国の現実を多様な文学世界に切りとり、明日へどう生きていくかを真摯に問いかけてきた。文学上なお研鑽、達成をめざす課題はあるものの、果敢に、また真面目に現実にいどんで紡ぎだした作品群は、現代文学に貴重な位置を占めるものと確信する。
 生活を根底から脅かす現実の猛々しさは、労働の現場にもっとも顕著である。小泉構造改革による「痛みの我慢」は、リストラという名の首切り、配転、出向など資本の勝手しだいのような状況を生んでいる。労働者と背後の家族、また、大企業に関連する中小零細企業、商店等、彼らの憤怒と悲痛の声が私たちの文学に求めるものは大きい。私たちの創造の営みが、この間にも小さくない成果を生んできたことは重要である。
 田島一『湾の篝火』は、八〇年代なかばの石川島播磨重工の七千人首切り合理化に材を得、反対する労働者への思想差別、暴力もまじえた労働からの排除などの実態をたんねんに描き、ルールなき現代資本主義の深奥に迫ろうとしている。「たたかってこそ明日はある」は、今日にもっと主張されていい文学世界をこえて意味をもつ重要なテーマである。
 宮寺清一「貯水槽のある街で」には、希望退職者募集という名の人員整理とそれに抗する共産党支部の活動が切りとられ、井上文夫『濃霧』(民主文学自選選書)の世界や戸切冬樹「空洞」、今井治介「裏ワザ」、竹之内宏悠「ウィルス」などには、労組差別や職制にまでひろがるリストラ、派遣社員の悲哀がうつしとられた。
 労働の現場には、なによりも現代日本のもっとも先鋭的な縮図があり、人間という存在を規定するもっとも根本の関係がある。そこに展開する人間のドラマこそ、小説世界への表現を待っているものである。私たちは、現実の荒々しさにたじろぐことなく、労働の態様や働く者の意識など、変化とその流れを深くとらえ、労働現場にいる書き手をはじめいっそう精力的に作品創造に取り組んでいく必要があろう。
 憲法改悪への動きがつよまるなかで、その先取りともいえる教育基本法の改悪が日程にのぼっている。教基法の改悪は、有事法制化とかさなって戦前教育の復活を懸念させ、また、経済効率至上から、差別選別のいっそうのエスカレートを予想させる。教育と学校は、もはや個性ある人格形成の場でなくなろうとしている。
 能島龍三が「風の地平」で知的障害者の施設づくりと彼らへの教育に舞台を借りて問おうとしたのも、効率優先と落ちこぼれる者への忍従の強制が教育なのか、どんな小さなものでも可能性を伸ばすことはできないのか、であった。
 日の丸・君が代が強制される学校現場で発言することの勇気、教員採用の差別を乗りこえての就職の喜び、教員の生活を守ることと児童の個性や能力を伸ばす教育は深くつながり合っていることなどを描いた倉園沙樹子「アンティークな額」、斉藤静子「雪を漕ぐ」、森川雅弘「アンサンブル・イン・スモッグ」ら新人の営みも特筆されることである。第四回民主文学新人賞の渥美二郎「ゴールタッチ」は、新人教員の目を通して学校現場に漂う事なかれや何とはない同質性の強制などを明るい筆致で批判したが、それが昔語りになるほど、いまの学校現場への官僚的しめつけはつよいものがあり、私たちの文学に期待されているものも大きくなっている。
 高齢化社会や老人世界、介護、あるいはそこにまつわる親子の関係などの物語は、わが国の文学界では佐川光晴「子どものしあわせ」などに垣間見られる程度だが、高齢者がより高齢の者を看ざるを得ない「老老介護」一つを見ても、そこにもっと文学の目が注がれるべきであろうことはいうまでもない。
 民主主義文学がこの間、一人暮らしの母を思う娘の真情を、排他を絶対とする宗教団体の信教強要にかさねて描き出した林田遼子「母の旅立ち」や、職人としての技を奪われた孤老の死を悼む若い女性の思いをこめた加藤節子「木戸の中」、また、真野朱美「六道の辻」、溝添雅夫「霧島のキヨ婆さん」ら新人をふくめてこの世界を描出してきたことは、日本文学のいっそうのひろがりを刺激するものだった。
『民主文学』に連載した廣岡宥樹「未明のとき」は、六〇年安保闘争に参加した一学生の自己認識の深まりと、高野山での修行などを通してたたかいの挫折感を乗りこえて新たに出発する決意を描き出した。敗戦直後の民主の息吹と「逆コース」、罹病による挫折をかかえての再出発をとらえた右遠俊郎「青春のハイマートロス」とともに、一つの時代を生きた青春像を映しだしている。
 いずれの時代もまた、わが国の大きな転換のときであったことは、これを現代に問う作者それぞれの心組みをもしめしていて重要である。
 前大会からの戯曲分野で見れば、松本サリン事件に材をとり、報道とそれを信じ込む庶民の態様に問題を投げかけた平石耕一「NEWS NEWS」、軍隊体験から深層心理に天皇意識を植えつけられ、それを拭えない悲哀を描いた大橋喜一「いとしの天皇陛下」、過疎化からくる家族の疎遠や戦争責任問題を「レンタル家族」との疑似家族体験を通してとらえた栗木英章「ホタル追想」などがあった。
「日本人と戦争」三部作と題して上演される、津上忠「演歌師添田唖蝉坊の或る日々」、平石耕一「柱の疵」、さいふうめい「明日咲く」は、日露戦争、第一次大戦、太平洋戦争末期をそれぞれ背景に、現代への反戦の思いもこめて描かれた。民主的文学・演劇運動ならではのこころみとして注目される。
 今日、現代資本主義とわが国社会がかかえる矛盾の深刻、多様、切実さは、日常生活のあらゆる場面に露呈している。それは他方で長年の自民党・保守支配の支持基盤を突き崩し、日本社会の深部に大きな変化の生まれていることを予感させてもいる。日本社会の民主的変革への願いや、それへの参加意識と行動もまた、これまでにないひろがりと形態で生まれている。対象のリアルな把握を通してそれをどうとらえていくかは、今日の文学にもっとも求められる点である。その意味でも「社会の民主的発展の方向にたってさまざまな対象をリアルにえがく」民主主義文学がためされるときといえる。
 現実へのリアルな目とするどい批評精神を発揮し、多様な作品世界を創出していくためにも、認識を深くして形象化をはからねばならず、また形象化による認識の深化をこそみずからに課していく必要がある。言葉や表現、構成にも習熟し、主題、題材の積極性だけでなく文学的・芸術的できばえ、完成度を追求していくことも重要なことである。
 わが国の文学界が民主主義文学を排除する傾向は依然として続いている。根ぶかい反共的風土から醸成されてもいる悪しき文学的空気はきびしく批判しつつも、これを克服していく根本の力は、私たちの力量を質量ともにゆたかにしていく以外にないことも事実である。現代日本文学の様相を変え、民主的発展を促していく道は、そこにおいてこそ試されていることに私たちは無自覚であってはならない。

(二)北朝鮮の許しがたい拉致問題に関連して、対北朝鮮戦争を煽り、「勝つ日本」を主張して憲法の破棄と軍備増強を公言してはばからない石原慎太郎などをはじめ、ブッシュ政権のアフガン報復爆撃や対イラク攻撃への日本の協力、「参戦」をうながす声は、文学者のあいだからも大きくはないが絶え間なく流れている。
 この間、津田孝「石原慎太郎の思想批判 ― 安保体制と憲法問題をめぐって」などの批判がおこなわれたが、文学を戦争協力の言説に変え、暴力や性をふくむ退廃的社会風俗の肯定や無批判な随伴者に堕したり、侵略戦争を「大東亜戦争」として美化する歴史修正や反動的思潮の跳梁の舞台とさせないために、民主主義文学の批評が果たす役割はますます大きくなっている。
 西尾幹二ら文学者が主導する「新しい歴史教科書つくる会」はこの間、中学歴史、公民の教科書を作成し、検定をうけた。教科書としての採択率は0.1%に満たなかったが、彼らは三年後の巻き返しを期している。日本の侵略戦争をアジア解放の戦争とし、天皇中心の歴史観を教える時代錯誤にたいして、先述もした歴史事実の真摯な継承をこめた諸作品とともに、新船海三郎「『新しい歴史教科書』と文学の歴史観」などの批判が発表された。歴史修正や逆流を黙過せず、文学のこととしても積極的な批判をおこなったことは、この間の文芸思潮と批評の問題として重要なことであった。
文芸誌や「純文学」作品の売れ行き不振にたいして、インターネット上はいまやあらゆるジャンルの小説の花盛りの観がある。専門作家が作品発表の舞台に選ぶこともあれば、アマチュアの作品に注目して出版社が企画化するケースも生まれている。石井正人が「インターネットと文学の現在 ― インターネットにおけるセミ・プロ、アマチュア文学の現状」「インターネットと文学公共圏」など一連の論考でその解明をこころみたことは重要であった。
 9・11テロと報復爆撃を機に戦争へのふたたびの道を歩もうとする危惧をモチーフに書かれた小林昭「大岡昇平にみる戦争と文学」、アジア・太平洋戦争勃発期にプロレタリア文学運動をおそった敗北主義の克服へ、自己の思想的成長を顧みながらいどもうとした小林多喜二「転形期の人々」の分析をこころみた大田努「非合法時代の遺品から見る『転形期の人々』の意味」も、時宜を得たものであった。
 民主主義文学の創造成果をどうひろく押しだしていくかは、私たちの批評のもっとも重要な課題の一つである。この間も、原健一「我が村は美しく」(津田孝)、稲沢潤子『早春の家』(小林八重子)、森与志男『戦後の風』(松木新)、右遠俊郎「青春のハイマートロス」(神原孝)、能島龍三「風の地平」、廣岡宥樹「未明のとき」(いずれも牛久保建男)、宮寺清一「貯水槽のある街で」(なかむらみのる)などの長編や自薦叢書の井上文夫『濃霧』(岩淵剛)、瀬戸井誠『遺品』(近藤瑞枝)にたいする論考が発表された。第二回手塚英孝賞の須沢知花は、より若い世代の目で旭爪あかね『稲の旋律』を論じた。
 宮本阿伎「『ハンセン病文学全集』刊行に寄せて」は、ハンセン病違憲国賠訴訟の勝利もうけて、人権の乱暴な蹂躙の実相と生きる命の希求を刻印してきた必死の営みといってよい作品群が、わが国の歴史と文学史に新しい光を当てていることを明らかにした。第三十四回多喜二・百合子賞を受賞した冬敏之の仕事など、この点ではさらにふかい作家・作品論が求められている。
 しかしこの間の批評活動は、動向論においても作家・作品論においても、今日の課題に照らして十分であったとはいえない。
 民主主義文学の批評は、反動的思潮やイデオロギー攻撃の分析をはじめ、内外文学の話題作や個別の作家・作品の批評において、力量をつけつつ、時機にかなった論評を積極的に展開していくことが、今日ますます重要になっている。批評の書き手たちの「待機状態」だけに帰すことのできない、文学運動のこととして改善をはかることは、さし迫った課題である。
 柳美里「石に泳ぐ魚」にたいする出版差し止めをふくむ司法判断にしめされたプライバシーの尊重と表現の自由との関係、川西政明『昭和文学史』のプロレタリア文学運動や戦後の民主主義文学運動の歪曲などについての研究、批判的検討も私たちの批評にとって重要である。
 また、民主主義文学としての批評力を高めていくうえで作家・作品論をめぐる積極的な意見交換も求められるところである。
この間、佐藤静夫『宮本百合子と同時代の文学』、北條元一『文学・芸術論集』が出版された。前者はとくに「貧しき人々の群」を生むにいたる百合子の成育の過程が時代の流れや文学動向をもふまえてたんねんに分析され、後者には、芸術的認識やリアリズム、真実とは何かへの追求を通して他に代え難い文学の魅力を語る著者の思いが反映され、著者それぞれの長年の蓄積の集大成となっている。民主主義文学運動の共有の大きな財産として、ここから受けとるものは小さくない。

(三)文学同盟組織は現在、千二百人近い加盟員と二千余の『民主文学』読者となっている。現代文学の衰退・危機がいわれ、文芸誌各誌が読者の急減という不振から抜け出せないでいるなかで、このことは重要な意味をもっている。生きがたく、また戦争「前夜」を思わせるような現代にあって、真面目に生きることの意味を問い、その価値を描出し、また社会と人間の真実をさぐる民主主義文学は、多くの人々の心の奥深くにとどく可能性をもっているともいえよう。
 前大会からの二年間は、同盟への加入者数そのものでは前大会期を上回り、『民主文学』読者も微増させるなど、組織拡大の意識的とり組みがつよまった。
 またこの間、全国研究集会の開催と前後する北海道地方の活性化、富山県で支部主催の文学教室の開催とそれへの広範な参加呼びかけ、熊本県での新支部結成へ向けた文芸講演会の開催、支部が未結成の島根が地方研究集会を担当するなどの意欲的な動き、四国研究集会を機に愛媛・松山への働きかけから支部結成の動きが出てくるなど、積極的な組織拡大の取り組みが現状打開につながっている経験も生まれている。東京で開催されている「若い世代の文学カフェ」は、若い世代と文学、民主的文学運動との懸橋は可能であることを教えている。
 同時に、加盟員の減退を重視しなくてはならない。高齢化による収入減や活動範囲の縮小、さらに不況によるリストラ、賃金カットなどの生活圧迫を大きな要因として、加盟員の漸減傾向はつづき、この十年でもっとも少なくなっている。同盟は、『民主文学』誌面の改善・充実や同盟の諸活動、企画等についての宣伝などを積極的におこなって加盟員、『民主文学』読者の拡大をはかり、打開に全力をあげなければならない。
 若い世代を迎える取り組みはまだ端緒的であり、同盟の年齢構成は六十代、七十代が依然、主な世代層である。「高齢化社会」は、その現実を生きる人々を描く文学を切実に求めているが、同時に、文学が青春のものであることも論を待たないところである。文学と民主的文学運動の未来を考えても、受けつぐ存在の重要性はいうまでもない。
 私たちは、文学同盟の組織的到達を直視し、その存在と位置の重要性を深く認識しつつ、加盟員と『民主文学』読者の拡大に力を注ぐことが求められている。
 また、組織的後退が同盟財政に深刻な影響を与え、諸活動を制約している事態を直視しなければならない。『民主文学』の自力発行から十年余を経、独立した経営体でもある同盟にとって財政の安定は運動と組織の要であるが、危機ともいえる今日の事態の打開は、猶予ならない重要課題である。同盟は中・長期の見通しをもつとともに、経費削減などの内部努力、滞納一掃などにもより真剣にとり組み、組織実態に見合った財政運営にも心がけなければならない。

 加盟員と支部の創造・批評、組織活動を活溌にしていくうえで重要なことは『民主文学』をその中心にすえることである。
 『民主文学』はこの間、従来にない多くの新人を発掘し、誌上に登場させてきた。東京はもとより関西、東海、東北地方での文学教室(創作専科)の開催がその契機になっていることは、大切なことである。また、ルポルタージュ、「日本の素顔」などわが国社会の現実に迫っていく企画、 海外文学、アジアの文学の紹介は、文学運動の視野をひろげてきた。エッセイ「私の二十世紀」、「随想四季」は多くの加盟員の登場をうながすことにもなった。
 これらの点をいっそう発展させながら、『民主文学』をさらに魅力あるものへ、それ自身が民主主義文学とは何かを身をもって語りかけていくものへとしていかなければならない。
 同時に、『民主文学』を創造・批評、組織活動の中心にすえて活動していく努力もまた、加盟員、支部には求められることである。作品の投稿、推薦、企画の提案など、同盟員をはじめとして加盟員、支部の惜しみない協力によって、『民主文学』をより充実させ、文学同盟の機関誌であるとともに民主主義文学と文学運動のよい語り手であり、それ自身一個の独立した文芸誌でもあるものへと、いっそう発展させていく必要がある。
 また、民主文学自選叢書(この間、前出のほか秋元有子『文学の森』、丹羽あさみ『開拓の子』を出版)をはじめ、前大会後も数多く出版された加盟員の著作、作品集は、著者それぞれの研鑽と到達をしめすとともに、民主主義文学の魅力を大いに語っており、文学運動の共有の財産である。『民主文学』とともにその普及にお互いに力を尽くすことが大切である。自選叢書の事業もまた発展させていく必要がある。

 支部活動を規約改正の趣旨にそって改善していくことは、文学運動の発展にとって欠くことのできない焦眉の課題である。
 支部は任意につくられるものではあるが、文学同盟と文学運動発展の重要な要の組織である。支部は「相互批評と研鑽を積み、創造・批評力を高め」、文学同盟と民主的文学運動をひろげていく、地域などでの大きな拠り所となっていかなくてはならない。また、文学・文化運動はもとより社会的活動などでの協力・共同を追求していく起動の力ともなっていくことが求められている。作家・評論家を中心とするいわば専門団体としての文学同盟が、他方でより広く門戸を開け、いい文学を求め、読み、書きたいと願う人ならだれもが参加できる組織になっていけるかどうかは、支部においてこそ、もっともよくためされ、問われる課題である。
 そのために、支部における同盟員の役割は決定的ともなっている。創造・批評はもとより、文学理論的にも力量をつけ、支部活動における指導性を発揮しなくてはならない。
 現在、各地の多くの支部には、文学同盟の加盟員でない人たちが支部員や会友などのかたちで参加している。今回の規約改正(案)は、文学同盟のもっとも身近な存在であるそれらの人たちこそ運動の一員に加わり、ともに文学運動をすすめる人だと考えている。支部の活動をそれらの人たちこそ加入してもらえるものに改善し、迎えていくことが求められている。支部はそうやってひろがりつつ、実態に即してその規模を適正なものにしていくことも発展のうえで重要である。

 小林多喜二没後七十年・生誕百年特集の『民主文学』(二〇〇三年二月号)が千五百部近く普及されたことは、加盟員と『民主文学』読者の拡大、民主主義文学をひろく普及することのできる可能性をしめしている。加盟員と読者拡大をすすめていくうえで、前大会が提起した三つの重点をいっそう具体化して取り組むことは、今日ますます重要になっている。
 (1)現在の加盟員や新しく加入する人の創造意欲を作品に結実していく、積極的な取り組みをおこなう。
 地方開催をふくむ常任幹事会主催の文学教室、創作専科、また支部主催の「創作教室」など多様な企画をすすめる。
 (2)いまあるつながりをいかした加入のすすめ、『民主文学』購読の呼びかけをおう盛におこなう。
 いろいろな機会に文学同盟と民主的文学運動を知ってもらう取り組みをすすめる。小林多喜二、宮本百合子の記念の集いや文学同盟創立四十周年へ向けた各地での文芸講演会などの開催を検討する。
 常任幹事会主催の「作者と読者の会」をはじめ諸研究会の取り組みもこの観点からいっそうひろげる工夫をおこなう。
 (3)若い世代への働きかけを意識的継続的にすすめる。
 前述もした文学同盟の現在の組織構成は、文学同盟への加入を二十代、三十代はもとより四十代、五十代への積極的な働きかけも求めている。現代の二十代の「文学経験」は、高世代のそれとは違っていることなどにもよく留意し、若い世代を若い世代が組織する運動となるよう、幹事会、支部はとくにそのことがやりやすい態勢と援助に配慮しなければならない。
 この課題の正否は、明日といわず今日の文学同盟、文学運動を左右している。力をつくし、創意的に取り組み、新しい前進をはからなければならない。
 次期大会を開催する二〇〇五年は創立四十周年の年にあたる。二千人の加盟員と五千人の『民主文学』読者を展望できる、千五百人の加盟員と三千五百人の読者をもつ組織へ、次期大会へ組織的にも大きく飛躍していくことを第二十回大会は心から呼びかける。

 二十一世紀初頭の情勢は、文学をひとり現実の外に置いてはいない。
 アメリカの一国覇権主義、追従する同盟国、わが国の無定見は、世界を底深い戦争の危機と不安に引き込んでいるが、同時に世界はかつてない反戦・平和の声と行動につつまれてもいる。すぐれて人間精神の発露である文学は、人々が平和とともに明日へと生きていく力になりたいと願う。
 現在の私たちの文学にもしそれが可能であるとするなら、人々が生き暮らす生活の現実のなかに、けっして声高でなくある真実を見、聞く以外にはない。その惜しまない努力がやがて豊饒の実りをもたらしてくれるだろう。迂遠に見えようとも確かなその道を、第二十回大会を新たな出発点にして私たちは進みたいと考える。

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