2024年5月に開かれた31回大会への幹事会報告です。 |
|
平和と人権のために言葉を紡いできた私たちの文学運動を次世代へ ──日本民主主義文学会第31回大会への幹事会報告── 報告者 久野通広 |
|
![]() はじめに この大会は、戦後八十年、日本民主主義文学会が文学同盟として創立して六十周年という節目の年に開催される。今世界は、国際法無視の侵略戦争とジェノサイド、核使用の脅迫、激化する気候変動と環境汚染など、人類そのものの存続すら危ぶまれるような状況に立ち至っている。米国では、アメリカ第一主義を唱え、移民や性的少数者などの権利を奪うことを公言するトランプ大統領が就任した。強大な軍事力と経済力を背景に、主権国家に領土割譲を迫るなど、米国では今、ならず者国家とでも形容すべき横暴な動きが進み始めている。日本では、米国の対中国戦略に従った憲法無視の大軍拡、軍事同盟の強化、南西諸島の要塞化など、戦争への準備が大規模に進められている。 このような、分断と対立、暴力と戦争、さらには利益第一で進行する気候危機・地球環境破壊に対して、世界各地で、反戦平和、核兵器廃絶、環境保護を求める運動が大きく広がっている。核兵器禁止条約の締結国・署名国の拡大や、被爆の悲惨な実態を通して核兵器の非人道性を世界に訴え続けてきた日本被団協のノーベル平和賞受賞は、その象徴的な出来事であろう。 分断と対立の激化が、暴力と戦争に繋がっている世界の現状に対して、文学には何ができるのか。それは私たち文学を志す者に、今厳しく突きつけられている問いである。「生の破壊に真っ向から対立する」ハン・ガンの文学が、昨年のノーベル文学賞を受賞したことは、その一つの回答でもあろう。日本の民主主義文学運動は、戦後八十年の間、一貫して差別と抑圧に反対し、平和と民主主義の言葉を紡いできた。大軍拡と戦争への道か、人権と国民生活を守る平和の道かの岐路に立つこの国の今、私たちの文学には何ができるのか。現代社会の現実を前にして、私たちはどのように創造・批評を進めていけばよいのか。それを明らかにするのがこの大会の第一の任務である。 大会のもう一つの大きな任務は、危機的な状況にある文学会の組織的・財政的な困難をどのように克服し、運動をどう次世代に継承していくかの方策を立てることである。民主主義文学は、一代限りの文学ではなく、多くの書き手の成果を受け継ぎ発展させていく文学として、全国各地の支部を拠点に創造・批評活動を積み上げてきた。新しい書き手が、支部の合評で学び、支部誌掲載作品で、交流する全国の支部・構成員からの批評を受け、力を付けて『民主文学』に作品を発表するという流れは、これまで有効に機能していた。しかし今、人口減、高齢化に伴い、活動を続けるのが難しくなっている支部が少なからずある。各地の支部はまた、読者との結びつきなど、組織活動の拠点でもある。活発に活動する支部の減少は、文学会の組織・財政状況にも深刻な影響をもたらしている。 戦後民主主義文学運動は、八十年の間、幾たびもの困難に遭遇したが、それらを構成員の知恵と力を尽くして克服し、現在まで世界的にも貴重な運動を維持発展させてきた。今後の文学運動の根本に関わる、これら創造・批評と組織・財政の二つの問題を徹底討論し、今後の運動の方向性を明らかにすることにより、この大会を新たな運動発展の契機としようではないか。 1 戦後民主主義文学運動八十年と文学会創立六十年 戦後民主主義文学運動は、日本文学が十五年に及ぶアジア・太平洋戦争に文学者が協力を強いられ、思想・表現の自由を奪われたことに抵抗しきれなかった痛苦の反省の上に出発した。日本の侵略戦争が、二千万人のアジア諸国民、三百十万人の日本人の死者をはじめとした多大な犠牲を生んだことで、文学者は、戦争を二度と繰り返してはならないこと、奪われた文学本来の姿を作品の中に取り戻すことを誓った。 戦後民主主義文学運動の最初の中心組織であった新日本文学会は、一九四五年十二月三十日、日本文学の民主主義的な発展をめざす全国的統一組織として創立された。『新日本文学』創刊準備号に発表された宮本百合子の「歌声よ、おこれ」(四六年一月)は、日本文学の新しい方向を示し、広い共感を呼んだ。その運動の創建と推進の中心になったのは、戦前のプロレタリア文学運動の作家、評論家であり、そこに賛助会員として志賀直哉、広津和郞、野上弥生子など広範な作家・知識人が結集した。 戦後の民主主義文学運動の出発は、戦前のプロレタリア文学運動の積極的遺産とともに日本文学の民主的伝統を引き継ぎ、戦後の新しい条件を踏まえた広がりを企図していた。しかし、『近代文学』同人からは、小林多喜二を「政治」の犠牲者として否定する論が出され、一方、セクト的に労働者階級の立場に立つ文学を主張する人たちは、宮本百合子の文学をその出身や題材から労働者階級の文学ではないと筋違いの批判をおこない、その潮流は『人民文学』を発行し、運動に分裂的な流れを生んだ。 一九五五年に開かれた新日本文学会第七回大会は、その分裂を克服し、新たな綱領・規約を定め、民族の生活と理想とをたかめる文学作品の創造・普及の方向を確認した。戦後の現実をとらえた作品が生まれる一方で、プロレタリア文学運動を否定する新たな潮流も現れた。それは様々な文学的グループを生み、支部を廃止することで、地方在住を含む多くの会員の意見を集中する途を否定した。 新日本文学会は、それらの潮流を内包しつつ運動を展開した。しかし、一九五〇年代後半からの国際情勢の変化や日米安保条約の六〇年改定を前後して意見の対立が際だつようになる。民主的文学運動の発展を願う人たちは「リアリズム研究会」を発足させ、各地にその支部をつくるなど全国的に連絡をとり合いながら創造・批評活動を進めた。 一九六四年の第十一回大会の活動報告では、「部分的核実験停止条約」支持という特定の政治的立場や、特定の創作方法が運動方針に押し付けられた。少なくない会員がこの方針に反対し、意見の異なる問題は留保し一致する課題で進める対案を示したが、新日本文学会の執行部は反対者数人に「除籍」を通告し、会から排除するという暴挙をおこなった。 新日本文学会の変質という状況を前に、翌六五年八月、プロレタリア文学運動の伝統と戦後民主主義文学運動の初心と成果を受け継ぐことを明確にした作家・評論家たちによって、日本民主主義文学同盟(文学同盟)が創立された。九十三人の同盟員、七百五十三人の準同盟員で出発した文学同盟は、リアリズム研究会の機関誌『現実と文学』を継承するかたちで『民主文学』を同年十二月に発刊し、旺盛な創造・批評活動を展開した。文学同盟は、組織の性格、目的を「人民の立場に立って日本文学の民主主義的な発展をめざし、それぞれの文学的、社会的活動によって民族の独立と平和と民主主義のためにたたかう作家・評論家の団体である」と規定した。 新たに設けられた準同盟員制度は、リアリズム研究会が同人・会員制度をとっていたことをもとにしているが、新しい書き手を生み出すうえで大きな役割を果たした。「今月の新人」「支部誌同人誌推薦作」から、多くの同盟員が誕生した。以来、文学同盟は、日本社会の現実に根ざして、何より戦争とそれにつながる反動的潮流に反対し、平和と民主主義を求める立場からモチーフ、テーマ、題材を深めて作品創造に挑んだ。 『民主文学』はこの六十年、何度か発行の危機に直面したが、一九七三年末から翌年初頭にかけての「石油危機」による用紙不足、紙代の高騰に際しては、大幅な減ページで対応して乗りきった。「いちばん身近な文芸誌」として、『民主文学』の月刊を会員・準会員、読者の力で守ってきた。 戦後、長く政権を担った自民党の対米従属・大企業中心の諸施策と国民生活との矛盾は、時代を経るごとに大きく、抜き差しならないものとなっていったが、その打開の道やそれをになう勢力をどのように考えるかについての議論はさまざまに展開され、文学運動にも小さくない影響を与えてきた。一九六九年の民主主義文学同盟第三回大会の幹事選挙を前にした九人の候補辞退や、一九八三年の第十回大会の直前に起こった「『民主文学』四月号問題」をきっかけとして起きた、一部の常任幹事の文学運動からの離脱という事態もその反映といえる。これらの問題を契機として意見を異にする常任幹事が辞任あるいは退会し、一部が文学同盟を外から攻撃するなどした。それらの影響により、全国の組織で少なくない混乱が生じたが、そうした厳しい試練も克服して、文学運動はとどまることなく前進してきた。創作方法、文学理論など、意見の相違は生まれることがある。これまで文学会は、内部で論議を重ねることを重視し、一人も排除しなかったことは大切な教訓である。 一九九三年一月から、創刊以来文学同盟が編集の責任を負い、その発行業務を新日本出版社に委託していた『民主文学』の自力発行に踏み切った。それは編集体制の強化を中心として、財政、組織活動など、自力発行を支えていく主体的力量の一層の強化が求められる、まさに文学同盟の歴史に画期をなす事業の出発であった。構造的不況による出版市場の冷え込み、長期にわたる反動攻勢のもとでの民主的出版物普及の困難などが、この自力発行の背景にあった。それから三十年余、毎月の発行を継続できているのは、自力発行にあたって「自力発行基金の募集」を同盟内外に訴え、目標を倍する約一千万円に近い基金が寄せられたこと、さらに定期読者を維持するために全国の会員・準会員が読み、広げてきたからである。『民主文学』を発刊して六十年、その半分以上の期間が自力発行であり、全国の力で支えてきたことを全員の確信にしたい。文学同盟創立三十年を機に創設した民主文学新人賞は、新たな書き手を生み、文学運動の継承に大きな役割を果たしている。 二〇〇三年の第二十回大会で、文学同盟は規約改正をおこなった。「日本民主主義文学会」と名称を変更し、会の目的と性格を「日本文学の価値ある遺産、積極的な伝統を受けつぎ、創造・批評、普及の諸活動を通じて文学、芸術の民主的発展に寄与することを目的とする作家・評論家を中心とした団体」と規定した。 これは、創立以来の成果をふまえつつ時代の変化に対応して、私たちの運動体をより広く、民主的進歩的な、文学を求める人なら誰もが参加できる組織へと発展させる契機となる画期的なものだった。またこの大会は、人はいかに生きるかを問いかけ、社会と人間の真実を多様な題材に映しとり、平和と民主主義の道を歩んできた文学運動にこそ、文学本来の方向があることを改めて明らかにした。また、規約改正では「支部は、定例の会合や支部誌の発行などを通じて相互批評と研鑽を積み、創造・批評の力を高め、本会ならびに民主的文学運動をひろげていく役割をもつ」と、その役割を強調した。 二〇二〇年からのコロナ・パンデミックも、文学運動には大きな試練となった。第二十六回全国研究集会の直前の中止をはじめ、支部例会を中止せざるをえない状況が生まれた。しかし、いち早く幹事会などのオンライン開催を始め、第二十九回大会以降はオンライン併用で開催している。創作研究会の文学教室や創作専科などもオンライン併用とすることで、全国どこからでも参加が可能になり、運動の新たな広がりの可能性を示している。 全国の会員・準会員の努力と、定期読者に支えられて六十年間、運動を継続させてきたが、六十代以下の世代に広がりをつくれていないことは重大な弱さであり、文学運動を次代に継承していく上でもその克服は不可欠の課題である。 文学同盟を創立した人たちを排除した新日本文学会は、出発の初心を捨て去り、第十一回大会以降、急速に組織勢力を退潮させ、二十年前の二〇〇五年に解散した。その意味では、一九四五年に侵略戦争と強権政治によって文学が抑圧された辛い体験のうえに、みずからを変革することで、社会の進歩と結びついた文学をつくりだそうとした戦後民主主義文学の初心は、私たち日本民主主義文学会の中に生きている。戦後八十年の歴史に立って、新たな歩みを進めたい。 2 戦争か平和かの岐路、新しい政治の探求と文学の役割 アメリカのトランプ政権(二期目)は二〇二五年一月二十日の就任早々、アメリカ第一主義を再び掲げ、パレスチナ自治区ガザ住民の強制移住とガザ所有宣言をおこない、温室効果ガスの排出を削減する「パリ協定」離脱や、男と女以外は認めないとLGBTQの権利擁護に反対、WHO(世界保健機関)脱退など民主主義の到達点に逆行している。戦争を止めると言いながら、日本などの同盟諸国に大軍拡を求めている。北大西洋条約機構(NATO)加盟国に対し、各国の軍事費を国内総生産(GDP)比五%に引き上げを求めるとの報道もある。大軍拡を許さない世論を高めることが不可欠となっている。さらに、各国の経済主権を踏みにじる一方的な関税措置に対して、世界でも、日本でも大きな怒りと批判が広がっている。 韓国の尹錫悦大統領が二〇二四年十二月三日夜、突如として「非常戒厳」(戒厳令)を宣言し、一切の政治活動を禁止し報道機関を統制しようとした。しかし、市民の抵抗で解除に追い込まれた。韓国史上初めて現職大統領として拘束・逮捕された。国会で弾劾が可決され、弾劾裁判となっている。 イスラエルによるガザ侵攻が二〇二三年十月二十七日に始まって以来、死者は四万六千人を超えた。二〇二五年一月十九日、一年三カ月ぶりに停戦が発効した。しかし、停戦合意に違反してイスラエルがガザ住民を殺害したり、米トランプ大統領によるガザ所有の暴言が出るなど、予断を許さない状況が続いている。 ロシアによるウクライナ侵略は二〇二二年二月二十四日以来、三年が経過した。北朝鮮の兵士が戦闘に参加するなどの事態となっている。「停戦」に向けてトランプ米大統領とプーチン・ロシア大統領との電話会談、トランプ米大統領とゼレンスキー・ウクライナ大統領との電話会談がおこなわれたが、戦争終結の方向は見えていない。とくにトランプ米大統領は、ロシアの侵略を事実上容認するなど国連憲章も国際法も公然とかなぐり捨てる言動をとっている。しかし、これまで国連が、ロシアの侵略を非難し、即時撤退を求める四度にわたる国連総会決議を上げたことは重要である。軍事対軍事の対応ではなく、国連憲章や国際法にもとづき、全ての国を含む包括的な平和の枠組みをつくることが緊急の課題となっている。 世界で核兵器の脅威が高まる中、被爆者の立場から核兵器の非人道性を告発し、署名活動などで核兵器廃絶を訴え、核兵器禁止条約の成立・発効に貢献した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したことは、非常に大きな意義をもつ。 世界各地で、猛暑、異常な豪雨、台風、森林火災、干ばつ、海面上昇など気候危機と呼ぶべき非常事態が起きており、人類にとって死活的な大問題である。おおもとには、利潤第一主義の資本主義体制の根本問題がある。その打開は、貧困と格差をただすことと一体のものであり、持続可能な新しい社会システムへの転換こそが求められている。 国内では、石破政権が二〇二四年十月二十七日投開票の総選挙において、「しんぶん赤旗」のスクープによる裏金問題などの影響で国民の厳しい審判が下り、「与党過半数割れ」の歴史的大敗を喫した。これにより国民の声を聞かずに悪法を与党単独で強行採決することはできなくなった。野党が一致すれば国民の切実な要求を実現しうる新しい政治状況が生まれている。石破政権は、裏金問題への反省もなく十万円の商品券を自民党議員に配るなど底なしの金権体質を露呈し、アメリカに追従して軍事費を「GDP比二%以上」とし、さらに憲法改悪も諦めていない。この政権と対峙して、新しい政治を求める国民の願いにこたえるのか、自民党政治の延命に手を貸すのかが、いま各党に鋭く問われている。文学者も主権者として憲法改悪反対、基本的人権、ジェンダー平等実現、気候危機打開など、積極的に発言し、行動することが求められている。 戦争か平和かの岐路で、端緒的ではあるが文学者の中に重要な変化が起きていることは注目に値する。二〇二四年のノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンは、光州事件や済州島四・三事件の記憶を背負って生きてきた人間を通して、歴史的現実への向き合い方を問いかけている。ハン・ガンがノーベル文学賞受賞のスピーチ(二〇二四年十二月十日)で「文学を読み、書くという営みは、同じく必然的に、生を破壊する全ての行為に真っ向から対立するということです」(東京新聞二四年十二月十二日付)と述べていることは文学の本質をついた評言である。 「九条の会」呼びかけ人でノンフィクション作家の澤地久枝らが二〇一五年の戦争法強行を機に国会議事堂前で毎月三日に開催する抗議行動を粘り強く続けていることや柳広司が二〇二三年から週二回ほどイスラエル大使館前で「ガザに平和を」と意思表示をしてきたことも忘れてはならない。被爆三世の芥川賞作家の小山田浩子が広島で「パレスチナの虐殺を止めたい」とプラカードを掲げ、X(旧ツイッター)やインスタグラムに投稿し続け、「憲法9条をもつ日本人が反戦や反虐殺を言うことは、私たちが思っている以上に重みがあります。だからこの日本で声を上げることが必要だと思います」(「しんぶん赤旗」二五年一月十三日付)と発言した。三月には日本ペンクラブが、戦後八十年、いま文学にできることは何か─をテーマに、歴代会長が「戦争と文学」を語るシンポジウムを開催したことも大いに注目したい。 3 日本文学の動向と民主主義文学運動 (1)日本文学の動向をどう見るか 〈戦争と平和〉 日本文学が政治的課題に関わらない状況が続くが、戦争への傾斜を強める日本に危機感を抱き、世界情勢や日本の現実に敏感に目を向け、文学が果たす役割を真剣に探求する動きが出ている。 岡真理『ガザとは何か』(大和書房)、ウクライナの避難者の証言を集めたドキュメント、オスタップ・スリヴィンスキー/ロバート キャンベル『戦争語彙集』(岩波書店)、ウクライナ難民を支える人々のルポルタージュ、丸山美和『ルポ悲しみと希望のウクライナ─難民の現場から』(新日本出版社)などが出版された。現代アラブ文学を専門とする岡真理は「小説 その十月の朝」(『現代思想』二四年二月号)で、イスラエル領内への奇襲攻撃にいくハマース戦闘員の思いを描いた小説を発表。『民主文学』同年五月号のインタビュー「ガザのジェノサイドにどう言葉を発するか」で、「今、必要なのは文学」と語る。『文藝』二四年秋季号の鼎談「見えない大きな暴力を書きとめる」で翻訳者の奈倉有里は、世界に「暴力が大きな問題として存在してあるなかで、文学がどういうかたちでそれを書きとめるのか」と述べる。朝鮮語翻訳者・著述家の斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』は戦争の傷跡と社会問題に正面から向き合う現代韓国文学を解説する。 池澤夏樹は、歴史小説『また会う日まで』(朝日新聞出版)で、キリスト教徒で海軍少将となった大伯父の生涯を日本の近現代史の中で描く。池澤は、今の日本は「戦争中と同じことをしている」(東京新聞)と指摘。中脇初枝『伝言』(講談社)は、終戦間際の「満洲」で風船爆弾が作られていたという事実をもとに、戦争の現実を描く。小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)は、アジア・太平洋戦争末期、東京宝塚劇場で風船爆弾づくりに動員された少女たちの物語。小林と中脇は『文學界』二四年七月号対談「いまに繋がる戦争を書く」で戦争を体験していない世代の作家が戦争を書く志を語る。金ヨンロン『文学が裁く戦争─東京裁判から現代へ』(岩波新書)は東京裁判に関する文学作品をとりあげ、文学の力で戦争や暴力を食い止めようとする努力をたどる。 〈移民問題〉 戦争や紛争、迫害によって故郷を追われた難民は世界の大きな問題である。入管法改悪について木村友祐は、「法と人間のあいだ─弁護士・伊藤敬史さんに聞く」(『すばる』二〇二二年十二月号)で政府の外国人行政についてのインタビューを掲載した。つづいて「僕の入管問題(文学を含む)」(『民主文学』二三年六月号)で、作家が難民への非人道的扱いに無関心であって良いのか、という声を挙げた。池澤夏樹『ノイエ・ハイマート』(新潮社)は、シリア、クロアチア、「満洲」などの難民の苦悩を、場所と時間を超えて描き出す。 〈労働現場とジェンダー差別〉 労働への問題意識、新自由主義批判、ジェンダー・人権問題を扱った注目すべき作品もある。石田夏穂は『我が手の太陽』(講談社)で労働者の誇りと生き様を問いかけ、「世紀の善人」(『すばる』二四年一月号)で働く若い女性の目からジェンダー差別をあぶり出す。古川真人『ギフトライフ』(新潮社)は、政府と企業が安楽死と人体実験のための生体贈与を推奨する優生思想の行き着くディストピアを描いた。 第三十回大会の幹事会報告において日本文学で「ジェンダー差別の観点から職場や家庭を描く作品が主流に至った」と指摘した傾向は続いている。坂崎かおる「イン・ザ・ヘヴン」(『小説現代』二三年十月号)はアメリカの問題のある家庭に苦しみながらレイシズムを乗り越えて成長する少女たちのシスターフッドを描く。「トランスジェンダーの物語」(『すばる』同年八月号)は、トランスジェンダー差別が「近年苛烈になっている」という問題意識で組まれた特集。日本ペンクラブ女性作家委員会が、企画「日本の性暴力・ハラスメントを考える」(二四年九月八日)を催し、「性加害のない世界を目指して」とする宣言を発表。日本ペンクラブ、日本文芸家協会、日本SF作家クラブなどが賛同した。李琴峰ら五十一人の作家が、同年十一月二十日のトランスジェンダー追悼の日に「LGBTQ+差別に反対する小説家の声明」を発表。フェミニズムやジェンダー差別と闘う人々の間に意見の相違はあるが、対立と分断をあおらず、文学者としていかなる差別と人権蹂躙にも反対する立場で一致して行動できるよう呼びかける。ジェンダー差別を克服する闘いは民主主義文学運動にとっても重要な課題であり、不断の自己点検と研鑽が求められる。 〈AIと創造〉 日本雑誌協会、日本写真著作権協会、日本書籍出版協会、日本新聞協会の四団体は二三年八月十七日、「生成AIに関する共同声明」を発表した。「現在の生成AIは、AIに学習させる大量の著作物データなしには機能しません」「データはネット上のクローリングにより著作権者の同意取得や対価の支払いなしに収集され」ているとして、著作権侵害の懸念を表明。生成AIは利便性を向上させる技術だが、政府のオンライン検閲強化や偽情報の拡散、個人情報の漏洩を招く危険についても警戒が必要である。 三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)は、労働強化により人びとは仕事に役立つ「情報」ばかり求め、仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなるが、「自分から遠く離れた文脈にふれること」に読書の意味があるとする。『現代思想』二四年九月号の特集「読むことの現在」で宮𥔎裕助は、生成AIが人間から読むことを省略し、「読むに値する言語の価値そのものが目減りしていく」中で、読書する意味を問う。資本による市場化・効率化で読書文化が破壊される危機感が背景にある。また書店の減少が続き、既に三割近い市町村に書店が存在しないため、書籍に触れる機会も不均等になっている。 (2)民主主義文学運動の創造の成果と課題 民主主義文学会の書き手も、様々な日本の現実に強い問題意識をもって挑んだ。とりわけ戦争か平和かの岐路で、文学という芸術の「遅効性」ともいうべき存在意義とともに、私たちの文学が、時代状況への「即応的」役割を果たすという問題提起は重要である。 〈人々の闘いと共産党〉 浅尾大輔「立春大吉」は、高齢者の多い山奥の町での入院と透析を保障する請願署名運動を描き、人々の中心になって住民とともに歩む若い女性の日本共産党議員と党支部の姿を捉えている。住民たちも共産党の活動を間近に見、関わりもして、反共偏見を克服し民主主義を学び発展させていく。作品は、時に時代も超えて様々な問題を取り込みながら、日本社会のなかで果たしている共産党の姿をリアルに描いた。この作品を扱った全国研究集会の第二分科会では、政治と文学の関係が議論になった。私たちの文学運動の当初からの課題でもある問題に、この作品は一つの答えを出してくれたといえよう。 ほかにも様々な現実に抗って闘う共産党員を描く作品が書かれた。横田昌則「光の方向」は共産党の市会議員が二期目に挑戦し、落選してもそれまで同様にその生き方を貫く矜持を描く。風見梢太郎「助け人」は、闘いの灯を消さないために、退職後もかつての職場につながり続ける共産党員を、宮越信久「草野球二代」は、好きな野球を続けるためにも地域を住みよい町にしたいと思う共産党員を描いた。 梁正志「荒草の道」は第二部、第三部が完結した。高校生になった主人公は一九六〇年代後半の激動の中で、日本民主青年同盟(民青同盟)に入り政治的課題にも正面から挑みつつ成長していく。貧困と差別の中で育ち、正義感と誠実さを軸に生きてきた彼は、卒業を前に共産党への入党を果たし、「自分は虐げられている人々の中で、共に歩み闘う人生を送るべきである」と新たな人生に踏み出す。青年の政治的成長を真正面から捉えた作品である。 最上裕「峠を越えて」は、瀬戸内の高専で民青同盟に加盟した青年が、東京の大手電機会社に就職し、共産党にも入って活動する。思想差別を受けながらも、結婚し家庭も持ち奮闘する。理想と現実のギャップに悩み一度は離党するが、文学運動や労組に結集して闘いつつ晩年は再入党する。一九七〇年代から今日に至る時代を背景に、誠実に生き方を模索する労働者像を描く。 人々が「闘い」を意識する社会状況でもある。秋元いずみ「終止符」は、「被害届」が出されると、それが不当なものであっても、事情も人権も無視した対応になる警察に為すすべもなく従わざるを得ない現実を炙り出す。山路文彦「含羞の人」の主人公は、戦争体験に裏打ちされて反戦平和のために生きた恩師の思いを受け継ごうとする。松本喜久夫「新たな朝」は大阪都構想を進める維新の会との闘いに勝利し、さわやかな朝を迎える定年退職後の教師を描いた。 〈日米軍事同盟・戦争と平和〉 草薙秀一「この国は誰のもの」は、一九七Ⅹ年九月の住宅街への米軍戦闘機墜落事故で妻が重篤の熱傷を負った被害者が、原因や責任を追及したくても米軍との取り決めの枠内でしか動かずものも言わない日本政府に憤り、その背後にある日米安保条約への理解を深め裁判を起こす姿を描いて、日米軍事同盟がすべてに優先する異常な日本の現実を白日の下に曝した。また、嘉手納基地の大事故を描き、戦後になっても戦争中と同じ危険と同居する沖縄の実情に迫った源河朝良「灼熱の島」や、沖縄の基地被害と佐賀空港への自衛隊オスプレイ配備計画を伝える大浦ふみ子「世ば直れ」も、米軍支配の実態を明らかにしている。 八十年前の戦争をどう伝えるか。親の世代の体験を再構築して綴った高橋英男「十三歳の夏」は、広島と疎開先の島を舞台に終戦間際から原爆投下後を生きる家族の姿を描いた。書き手が戦争の直接体験を持たなくなっている最近では、戦後から現代に至る、戦時ではない時代に見え隠れする戦争の残滓を掬い取る形で作品が書かれるようになった。笠原武「消えた池」は、敗戦直後、間違った教育の証として奉安殿を遺すか、体面を重んじて撤去するかで対立する教師たちを、柴垣文子「花と空洞」は戦場の記憶に苛まれる復員兵の姿を捉えた。塚原理恵「丸刈りの少女」は、中国から引き揚げる骨壺を抱えた丸刈りの少女の絵から加害の歴史をどう伝えるかを考える。入江秀子「チーズとコーラ」は、戦後日本に進駐したアメリカの軍隊と日本の民衆との様々な接触を描き、青木陽子「二位殿様」は、戦争から帰った夫の人格の変化は祟りではなく戦争のせいだったかと過去を捉え直す老女を、水野敬美「父の悲しみ」は長男を戦争で失った悲しみを、戦争を遂行したものへの怒りに変えられぬまま死んだ父を哀れにも不満にも思う女性を描いた。能島龍三「母の短剣」は、中学校の男子生徒を自衛隊に勧誘する実態を描いて戦争国家づくりに警鐘を鳴らしている。 〈働く現場・労働組合〉 文学会の書き手に現役労働者は少なくなったが、社会の矛盾が集中する企業の労働現場を書く試みは続いている。最上裕「広き流れに」は職場でハラスメントを受けてメンタルに不調を来した青年労働者の解雇と、個人加盟の労働組合に入っての裁判と職場復帰を描いて、人権無視の職場で人が神経を病んでいく様を印象的に捉えた。東喜啓「労組委員長」は、東日本大震災直後の期間工雇止め問題で雇用継続を勝ち取り、新たなリストラとの闘いに向き合う、人間らしく働ける労働現場の実現を目指す労組の活動を描いた。 労働とその管理の仕方が変化する中で人間らしさをどう追求するか。AIを利用した人事管理システムの開発を成し遂げながら、開発した当人もが切り捨てられる様を描いた最上裕「半分の光明」は、人間らしく働くことの困難な企業の現実を示している。北岡伸之「赤熊」では、欧州と比べ労働者を守らない企業や労働者の側の意識の問題が提示された。成沢方記「オオルリが囀るとき」は労働災害の根絶を求める運動が受け継がれていく姿を描き、黒田健司「三分の一の権利」は、技術・人文知識・国際業務の外国人労働者の苛酷な実態を捉えた。 農業の現場も舞台になった。清水春衣「Jの子」では日本の農園で働く外国籍労働者が、しなやかにしたたかに連帯して生きている姿が写し取られている。また、職場=働く場所の問題では、前大会期から引き続きコロナ禍が結果として仕事を奪い、人々の生活に深刻な影響を与えたことが作品に反映されている。木曽ひかる「冬萌」は、養護施設で育った若い女性がコロナ禍で仕事を失い、キャバクラ嬢などさまざまな仕事を転々として、最後に北関東のキャベツ農園で働き再生のきっかけをつかむまでを描く。杉山成子「デリヘル嬢になれますか」は、経済的苦難からデリヘル嬢になろうとした若い女性を描き、経済的窮乏に追い詰められた時、そうした職業に行きついてしまうこの国の闇を告発した。秋吉知弘「ほほえみ」も、主人公がコロナ過で仕事を失い離婚することになった事情とその心の揺れを描いた。 〈保育、教育〉 次の世代を育てる保育・教育の現場も多くの問題を抱えている。秋元いずみ「灯をみつけて」は、勤務先の保育園が民営化され、遊びより学習の教室などが優先されることになじめず転職していた主人公が、東日本大震災後、被災地におもちゃを届け一緒に遊ぶ支援活動に参加して、もう一度子どもたちの笑顔が見たいと保育士に戻ることを決意する。そこには保育が利潤追求の場になることへの怒りと、本来の保育への強い希求がある。 倉園沙樹子「つぶての祈り」は、教員会議で上からの方針に疑問の声すら挙げられない関西の公立高校を舞台に、教師と生徒双方の複数の視点でそれぞれの葛藤や前を向く思いなどを交錯させて、簡単には結論や結果の出ない教育の現場を丁寧に写し出した。 渥美二郎「フツウ高校」は管理主義的教育の高校で、教師と生徒が学校を変えようと連帯して奮闘する姿を、佐田暢子「夢のあとさき」は、生徒に体罰を加え保護者から訴えられても問題の本質を捉え切れない教師と解決を曖昧にする校長を描く。青木資二「見えない壁」では、教育の場のIT化が進む中、子どもの教育環境が劣化しているのではという問題提起がされた。 岩崎明日香「奈々先生のオランジェット」は、人として大切なことを教えてくれた教師の思い出を、田本真啓「狐づら」は〝仲間外れ〟にされた主人公の、狐の面を被った少年との不思議な交流を描いて、人が大人になるための大事な要素を取りあげた。また、國府方健「浅男の煎餅」は戦前の話ではあるが、朝鮮人への根拠のない偏見を見据えつつ、人としての情が捉えられて、少年の成長の糧になる体験が、空猫時也「電界の海の灯台」は、ネットゲーム依存症の少年が治療施設で他の患者と触れ合い回復していく様子が描かれている。 〈人権──障害者、ジェンダー問題〉 中村好孝「ワンちゃん手ぬぐい」は、障害者作業所で支援の難しい通所者が仲間たちの中で変わっていく様子を捉え、和合恭子「こころの眼」は視覚障害、聴覚障害児の心のありようを注視する保母の姿を、石井斉「眼の輝き」は、ともに統合失調症を患う夫婦が、自殺を図った隣家の中学生に寄り添い励ます姿を描いた。また笹本敦史が「白いワンピース」に息子が女装をしていることを知って戸惑う父親を描いてジェンダー問題に迫ったが、社会の人権意識が急激に広がり変化している現今、私たちの問題意識は全体としてまだ弱いのか、この分野の作品が少ない。もっと積極的に挑んでいく必要があるだろう。 〈高齢者・家族・その他〉 高齢化社会は様々な姿を見せる。井上通泰「離郷」は、息子に引き取られて故郷を離れる老人と、彼女の言動に翻弄される子どもたちを描いた。かがわ直子「おかえり」は定年退職で故郷に戻り、送迎ボランティアで再出発する男性を、野里征彦「岬夕景」は東日本大震災もあって過疎化が進行する地域のために奔走する男性を捉えた。東日本大震災で母を亡くした主人公が、行旅死亡人の生前の生き方を探る老人と出会う北原耕也「野辺をゆく人」や、母親の死が迫る中、生と死を見つめる池戸豊次「白い道」、献体した叔母の遺骨を実家の墓に納めるまでの複雑な親戚関係も含めたいきさつを綴った荒川昤子「骨」なども、少し先に死を考えない訳にはいかない高齢者の様々な姿を見つめている。橘あおい「詐欺師」は老人介護の話だが、二女が詐欺師に騙されていると言い続ける母親の被害妄想の原因は、年々改定されて心細くなっていく年金のせいなのではと娘たちが気付く展開もある。 家族の形を描くことも重要である。須藤みゆき「優しい過去」は小学生の時に母親から受けた虐待の痕跡に苦しみ「小説を書く」ことで過去を乗り越えようとするが、片方で疑似家族ともいえる結びつきを持つ女性を描く。石井建仁「きょうだい」は戦時中に養子に出された姉を探し出し、三人きょうだいが六十年ぶりに再会を果たす。中田良一「小さな水槽」は七十五歳でひとり暮らしの主人公が、シングルマザーの娘と孫との信頼関係を深めていく。 その他さまざまな角度から時代、社会、人間を見つめた作品が書かれた。 田本真啓「コソコソさんの紅い花」。長崎の五島列島を舞台に、小学生の少年がキリシタン迫害事件の際に命を落としたエリザベト・スミと出会うなど、ファンタジーを導入しながら展開する作品。農耕のために五島に移住した人々が、キリスト教徒への迫害の歴史と、移住者に対する差別を交錯させ、二度と差別や迫害を許さないという決意を響かせる。 三富建一郎「わきまえない女」は、北ドイツにある日本語補習学校を舞台に、理事会による理不尽な校長排斥と闘う女性校長の姿を描いた。草川八重子「こういう男」は、「生涯イチ平社員」を貫き、労働組合運動に献身した主人公を妻の視点から綴る。稲沢潤子「詩人の家」は、老詩人を訪ね、魂の問題である文学についての話を傾聴する。たなかもとじ「海に聞け、空に聞け」は、一九六〇年代にハンセン病療養所の高校生と交流する本土の高校生を描き、仙洞田一彦「古書店の客」は、古書店の客と本の値付けをめぐる軽妙なやりとりの内に、人の自著への思いや「本の価値」について考えさせた。 以上、多彩な作品が今期も生み出された。ただ、経験した事柄や目の前にある題材をあるがままに描いて終わっている作品も少なくない。社会と人間の真実を炙り出すために、それぞれが自分自身の創作方法について強い意識をもって追求していきたい。 (3)民主主義文学の批評の成果と課題 今期『民主文学』誌上においては、特集の形で多くの評論が書かれた。「小林多喜二没後九十年記念」では岩崎明日香・神村和美・宮本阿伎による座談会「多喜二の描いた女性像」で、ジェンダーの立場からの多喜二文学への考察がはかられた。「関東大震災百年」では、中村光夫が「亀戸事件とプロレタリア文学」で、関東大震災の時に起きた虐殺事件を文学がどう描いたかを追った。「プロレタリア文学と反戦」では、中井康雅が黒島伝治の反戦反軍小説を論じた。「『文藝戦線』一〇〇年」では、牛久保建男が金子洋文の再評価を促した。「創立60周年 民主主義文学作家論」は三回にわたって掲載され、その中で下田城玄は窪田精の日本共産党を描いた作品の意義を論じ、岩渕剛は田島一の職場でのたたかいを描く作品の意味を考えた。「ジェンダーと文学」では近年の女性作家の作品を、作者たちと同世代の秋元いずみ、梅村愛子、川澄円が論じた。「日露戦争一二〇年と文学」では、熊﨑徹典が田山花袋の日露戦争従軍から生まれた作品を取り上げ、戦争が文学に与えた影響を考えた。「再読・20世紀の世界文学」では、渡部唯生がガルシア=マルケス「百年の孤独」を、谷本諭がジョージ・オーウェル「1984年」を、石川倫太郎が魯迅「阿Q正伝」をそれぞれ現代的視点から考察した。 こうした特集は、会外からの寄稿も含めて、近現代の日本や世界の文学、プロレタリア文学や民主主義文学運動の生み出した作品と文学動向への現代的視点からの追求となっている。また、連続企画「文学運動の歩みを名作で振り返る」として二〇二四年一月号から十二月号にかけて、一九六〇年代から七〇年代にかけての十二の作品についての論考が掲載された。二〇二三年二月におこなわれた「小林多喜二没後九〇年文学のつどい」の内容紹介もあり、能島龍三による講演「多喜二は文学で戦争にどう向き合ったか」は、戦争と多喜二文学の関わりを追究した。亡くなった大江健三郎に対しては、北村隆志が追悼を書き、新船海三郎は「『平和』と『勝利』と『民主』という思想」で、大江のヒロシマ・沖縄経験の意味を探った。「話題作を読む」では、乙部宗徳が村上春樹の『街とその不確かな壁』を論じた。それぞれの問題意識にもとづいた評論としては、中村泰行が「鷗外の実像─小説『半日』を通して」で通説に対して刺激的な新しい観点を指摘し、論議を呼んだ。石井正人は「生成AIと文学─『プロジェクト・カサンドラ』の経験」で、生成AIをどのように活かすかについての観点を示した。また、『学習の友』に連載された北村隆志、木村孝、澤田章子による明治大正文学に関する論考が『名作で読む日本近代史』(学習の友社)として刊行された。 これらの評論によって、毎月の文芸時評とともに、現代の文学動向や民主主義文学やプロレタリア文学、近代文学の作品評価を通して、過去の文学的遺産をどのように受け継ぎ、発展させていくのかということへの追求が活発におこなわれた。その中には、紹介・解説としての方向性が強いものもみうけられるが、民主主義文学運動が生み出した作家・作品論によって文学運動の振り返りがなされたこと、また新しい評論の書き手が登場してきたことも、注目すべきことであった。 そのうえで、文学運動全体として、創作と批評との関係についての理論的探求がおこなわれたことが、この期間の特徴であった。 前回、第三十回大会幹事会報告は批評について「明日の文学はいかにあるべきかに言及する」ものだと述べ、大会やその後の全国研究集会でも創造と批評の関係について活発な論議がかわされた。その中で、プロレタリア文学運動が芸術理論や創作理論に深い関心をもって文学創造にあたっていたことが想起された。 こうした大会や研究集会での論議を通して、創作と批評との関係についての探求が深まっている。これからも、個別の作品評価や文学動向の分析を強めるとともに、プロレタリア文学運動から民主主義文学運動へのつながりを考えながら、創造と理論との関係を創作・批評の両面から明らかにしていくことが求められる。その探求を評論の文章として発表することにとどまらず、第三十回大会期に再出発した「創造・批評理論研究会」の活動を発展させることや、「作者と読者の会」や支部活動のなかでの合評、また支部誌・同人誌委員会の討論を経て発表される毎月の「支部誌・同人誌評」などを媒介にした経験の共有が、創作に向かう原動力となるとともに、新しい評論の書き手を生み出し、文学運動全体を活性化することを期待したい。 4 六十年を迎えた文学会組織の現状と課題 (1)文学会の組織の現状 この間の文学会の組織状況は、全国的な組織拡大への努力にもかかわらず、会員・準会員、定期読者とも長期の減少傾向を脱していない。 二〇二五年四月末の時点では、会員・準会員は、第三十回大会現勢から九十一人減少し、七百五十人を割り込んでいる。『民主文学』読者の実売部数は二千三百部台(二〇二四年平均)に落ち込み過去最低となり、定期購読者数は一千部を割るところまで、大きく後退している。会員減は主に高齢と死去によるものであるが、この間連絡がとれないまま発送停止(資格停止)になっていた会員を再調査して、施設に入ったり、転居して連絡がとれない人を一定数「退会」としたこともある。準会員も大会後ずっと減り続けている。文学会の会員年齢構成で、七十、八十代が七割を占め、四十代以下は五%である。大会後、五十歳未満の加入は十二人であり、世代継承の課題も待ったなしの状況にある。 同時に、七十代、八十代は、創造批評の実績からも、文学運動を支えてきた「主力」であり、その経験と力を世代継承のために発揮すれば前進できる条件があることを示している。 支部数は、茨城、静岡、兵庫で新たな支部が誕生したが、空白県は、山形、栃木、福井、滋賀、島根、香川、宮崎の七県ある。また、会員の空白県が十一県ある。 先にも述べたように、オンライン方式は、新しい結びつきをつくりだし、運動の発展の新たな可能性を開いた。一方で、オンライン対応ができない支部も少なくない。そこでは支部例会が開けない困難が続いている。インターネット通信環境を持たない構成員に、会議、研究会等への参加をどう保証していくかは、緊急に解決が求められる。文学会としても、組織的に対応すべき課題として検討する。 さらに、会員の高齢化で移動が困難なため例会開催が難しくなり、支部誌の発行や存続が危うくなっている支部も増えている。こうした困難を抱える支部への援助、対策は急務の課題である。常任幹事会と組織部が中心となって、「支部アンケート」などで実情をつかみ、具体的な援助をおこなう。その際、オンライン会議で地方ごとの対策を考えるうえで、地方組織担当の配置、充実が欠かせない。とくに首都圏は、大会比で会員・準会員、読者の後退が大きい。実務を含めた運動の担い手を育てるうえで、対策を強める。 六十年を迎えようとしている私たちの文学運動は存続できるかどうかの正念場にある。この文学運動の火を消してはいけないという切実な思いを、なんとしても組織的前進につなげていくことを強く呼びかける。 (2) 組織的危機を打開する二つの発展方向の活動と課題 組織の現状は危機的状況にあるが、創立以来六十年続いている文学団体は世界にも例がない。文学会は個人加盟の組織ではあるが、全国各地には約九十の支部が存在しており、その七割で例会を開催し、支部誌を発行している。支部誌の発行合計部数は一万三千部以上あり、全国の文学愛好者と結びつき、その草の根の活動が文学運動を支えてきた。この積み重ね、財産の上に今の到達がある。そこに確信をもってとりくもう。 とりわけ大会後に生まれている新しい前進の芽、二つの発展方向(①支部に入っていない会員、準会員、読者を組織化し、読者会、支部づくりへとつなげる。とくに支部の周りの読者に、支部例会のお誘い、読者会への働きかけを本格的にすすめる。そのためにも支部では掌握しきれない、準会員、読者の名簿を活用し(要請があれば文学会から送る)、各支部のまわりの状況を可視化し、例会、読書会への参加を呼びかけよう。②一人ひとりが『民主文学』をよく読み、例会で合評し、自身の創作に生かす)による実践によって貴重な前進が生まれている。 〈新支部結成、読書会の広がり〉 新しい支部が生まれることは、創造批評と組織の活性化にとって大きな力になる。前大会以降新たに三支部が誕生した。そのどれもが、二つの発展方向にそった教訓に満ちている。 茨城・取手支部(二三年十月)…会員が文学の仲間や『民主文学』読者を増やし、地域でその核となる支部を結成したいと思い、文学会の組織部とも相談して取り組んだ。会員の小説が『民主文学』に掲載されたことをきっかけに、新聞に三千枚のチラシを折り込むなど、民主主義文学会と『民主文学』が目に見える形で行動したことから、それまで面識のなかった文学に関心をもつ人ともつながりができた。そこから定期読者と準会員が増えて、他に支部に所属していない近隣の会員にも参加をよびかけて支部結成となった。 兵庫・淡路支部(二四年七月)…淡路島在住の幹事が地元で支部づくりを目標に、自身の連載小説掲載を機に、三月に組織部も援助して最初の読書会を開催。その時は準会員の拡大にはならなかったが、その後も毎月開催し、四回目の読書会の後、読者を準会員に迎え入れ、支部結成へとつながった。今後は、新たな書き手の発掘と支部誌発行を目指している。 静岡・中遠支部(二四年十二月)…東海研究集会に参加した準会員が、地域でも支部を作りたいと発言したことをきっかけに、在住の会員と連絡をとって話し合い、支部を結成。 東京東部支部の葛飾読書会の活動も継続していて、参加者から読者を拡大している。きっかけは、葛飾区在住の支部員が「区内の定期読者に呼びかけて読者会をしたい」と話し合い、区内の読者に十人に案内の手紙を出したところ、二人の読者が参加してくれることに。読者の要求、意見を尊重して近現代文学の短編小説の音読をおこなっている。テキストは会の幹事が準備して、手ぶらで出席すればよいので、気軽に誘うことができて、今では読者以外の人も含め十人ほどに増えている。『民主文学』の作品を軸にしての読書会は、文学と人生を語り合う場となり、運動を広げる大きな力になる。継続しておこなうことが大事である。 準会員の拡大で、対象となるのは読者である。また、支部誌を発行している支部では、その結びつきがある。支部誌読者をさらに『民主文学』購読と準会員へと誘う意識的なとりくみをしよう。同時に、「書かないが文学を読んで語り合いたい」という読者・文学愛好者の要求を大事にして、文学運動に迎え入れよう。代々木支部では職場の文学好きの青年を例会に誘って作品を読んでもらって対話を続け、準会員に迎え入れている。この経験が示すように、「創作しない人でも準会員になれる。作品合評に参加することも文学運動、文学を語り合う場は楽しい」と訴え、文学運動と支部活動の魅力を実感してもらうことが大事である。 同時に、支部に迎え入れた仲間が文学運動の喜びを実感し、新たな書き手として成長してもらうためには、魅力ある支部例会が欠かせない。その中心が合評である。合評については、「作者と作品へのリスペクトをもって、率直かつ節度ある言葉で」の努力がされている。批評の精神で大事なことは、書き手の創造意欲を励ますことにある。まず作者が何を書こうとしたのか、作品のテーマを探り、そして良いところと課題を指摘していくことが合評の出発点となる。とくに新しい書き手に対しては、正しい指摘であっても過大な提起になっていないか、より丁寧な物言いが必要である。 大会後、若い世代二人を迎え入れた長崎支部は、二人の生活スタイルに合わせて例会を設定して、作品の報告者にもなってもらった。合評に参加した二人からは、「それぞれの解釈が個性的で合評の魅力がわかった」「自分の考えを整理するなかで、新しい視点、見落としていた描写などに気づき、とても有意義だった」との感想が寄せられている。そうした努力が、支部主催の「文学カフェ」成功の力にもなっている。 『民主文学』をよく読むことは文学運動をすすめる出発点である。拡大用見本誌を活用する際にも、『民主文学』がよく読まれているかどうかを含め、支部で時間をとって議論しよう。支局をもつ会津支部は、毎月の『民主文学』をよく読み、読者の関心にあった作品を紹介することを心がけている。この間支部員が連載エッセイを『民主文学』に連載したことをきっかけに、連載終了後も新旧の読者を誘って「文学のつどい」を開き、読者との結びつきを継続する努力をしてきた。 〈参加したくなる、書きたくなる参加型の例会へバージョンアップを〉 こうした貴重な教訓・経験があるものの、組織的前進に転じるためには、六十年の運動の蓄積を最大限活用し、二つの発展方向をさらにバージョンアップさせていく必要がある。新支部結成や活性化を図っている支部では、読者会、文学カフェなど民主主義文学会の存在をいろいろな形でアピールして、文学愛好者も含めて組織している。SNSでの発信とともに、文学運動の魅力をどう広げていけるかが鍵となる。 その中で、支部例会での合評は文学運動の大きな魅力となっている。その魅力を実感してもらうために、さらに文学愛好者、読者の要求とエネルギーを吸収して開かれた文学運動にしていくことが求められている。例会での合評は、『民主文学』掲載の作品が中心になるのは当然であるが、それだけでなく、近現代文学の名作や話題作なども取り入れ、広く文学愛好者の参加可能な形態を探求していく。合評もいくつかの例会や読書会で実践しているように、短編小説の音読をして、作品を味わうなど参加型のやり方もある。創作力向上のために、創作通信制度の活用、創作研究会が主催する文学教室、創作専科に積極的に参加するとともに、支部や支部合同でのミニ専科の開催については講師を派遣するので事務局まで連絡してほしい。 文学をつうじて、政治も含めて生き方や多彩な話題を率直に話し合うことができて、いけば元気になる、書きたくなる、参加したくなる例会・読書会にしてこそ、周りの人も誘いたいという意欲になる。支部の実情を踏まえてできるところから「改革」をしていこう。 心さわぐ文学サロンは、二三年十一月、中嶋祥子『非正規のうた』(光陽出版社)をテキストに参加者十九人。二四年二月に青木陽子『星と風のこよみ』(同)をテキストに二十七人参加。七月に倉園沙樹子『巨艦の幻影』(同)をテキストに二十二人参加。十一月にチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)をテキストに十一人が参加。二五年三月に松本喜久夫『そこにある希望』(本の泉社)をテキストに十人が参加した。 フェイスブックのつながりから加入者を迎えた経験からも、SNSによる結びつきのなかで準会員や読者を増やすために、意識的な努力が必要となる。 民主文学館から、荒川昤子『コーヒーハウス』、大浦ふみ子『忘るなの記』が刊行された。 (3)『民主文学』の発行を守るために積極的な投稿と新たな書き手を生み出そう 『民主文学』は、権力やタブーを恐れることなく、若い世代からシニア世代まで、自由な創作方法で多様な作品が掲載されている、身近な全国文芸誌である。文学運動を六十年継続できているのは、『民主文学』に常に新しい書き手をつくりだしてきたことによる。しかし、会員・準会員の減少、高齢化は、投稿数の急激な減少をもたらしている。読者の期待にこたえる『民主文学』の発行を継続するために、一人ひとりの会員・準会員が力のこもった良い作品を投稿することと共に、その執筆依頼に積極的にこたえることが求められている。 今大会期は、製造費の値上げに対して、『民主文学』の十六頁の頁減をすることを確認し、そのもとで編集委員会・常任幹事会が魅力ある企画を立て、作品掲載の努力をしてきた。同時に、「字が小さくて読みにくくなった」という声も多いことから、活字を大きくする。編集委員会は、会員・準会員から寄せられる投稿を、よりよいものにすること、新しい書き手を生み出すために力を注ぐ。支部誌作品については、毎年の支部誌・同人誌推薦作、支部誌・同人誌委員会の推薦、支部の合評を受けての改稿の投稿など、そこから登場する機会は多い。民主文学新人賞、短編募集などにも積極的に挑戦しよう。 文学会の財政は、一般会計は会員・準会員の減少により、会員会費・準会員会費は前大会期実績と比べると合わせて三百万円の減となり、事務局員の常勤化にともない人件費も増大している。出版会計は、会員・準会員の減少による文学会売上の減、用紙代を中心とした製造費の値上げの影響は大きいが、出版支援金で収支合計は前期とほぼ同じになる見込み。一般会計と出版会計の合計で繰越金は八十万円減となる見込み。今期は人件費や製造費の増加によって一千万円程度の赤字を見込んだが、頁数減による製造費の削減など、諸経費の削減を図り、大口の募金もあったことにより、繰越金の減を最小限にとどめた。しかし、このまま会員・準会員の減が続けば、来期は大幅な赤字になることは避けられない。『民主文学』は、頁数の減、募金と経費削減の努力によりかろうじて発行を維持しているが、その努力も、諸物価の高騰に加え昨年十月からの郵便料金の大幅値上げで大きな財政負担となり、限界にきている。幹事会としては、以上の状況を踏まえ、次の措置を取らざるを得ない。購読料を千円に値上げし、会費・誌代等の振込手数料を会員・準会員・読者負担とする。根本的な打開の道は、会員・準会員、読者の拡大と創造・批評活動の強化しかない。 文学会の組織的困難打開のためにも、「大会に次ぐ議決機関」である幹事会がふさわしい役割を発揮する。四十五人の幹事が団結していくためにも、創造批評活動とともに、幹事会の全員出席での議論を重視し、そこで決定した方針で実践する先頭に立とう。 すべての支部が準会員一人を増やし会員・準会員で八百人、会員が『民主文学』一部を拡大して大会現勢(千百四十部)を回復し千四百部を目指す。 (4)世代継承のとりくみ──二年間の活動と強化方向 〈若者コミュの自主的活動から世代継承委員会の発足で活動の強化〉 文学会の年代構成をみても、四十代以下の若い世代を文学運動に迎え入れることは、私たちの運動を継承していくうえで死活的課題となっている。第三十回大会幹事会報告では「若い世代が、文学的実績だけでなく個人として尊重され、一緒にやっていくことが楽しい『居場所』と実感できるような文学運動に『改革・更新』して」いくことを提起した。 今期、組織部から世代継承委員会が独立して発足し、これまでの若者コミュの運営委員と若手の拡大委員を含め、常任幹事と事務局長が加わることによって活動が強化された。世代継承委員会が「居場所」としての役割を発揮しつつある。そこで重視したのが、若手自身が主体的に企画、運営をおこない、常任幹事会との連携を図りながら活動を円滑に進めていけるようにしたことである。 〈共に文学を学びあい語りあう場をもち、仲間を広げながら文学創造の力量を高める〉 そのために、若い世代に向けた多彩な企画にとりくみ、共に文学を学びあい語りあう場をもてるようにしていく。そこで互いの関係性を深め、仲間を広げながら文学創造の力量を高めていくようにとりくんできた。 隔月をペースに若い世代のとりくみを計画し開催することができ、二〇二四年二月に開催した若い世代の文学研究集会では、久しぶりにリアルに集まっての開催となり、オンラインも含め十四人が参加、八作品が提出された。文学散歩での交流も図り、参加者から新人賞受賞者が生まれた。同年九月には、長崎支部の協力を得て、若い世代の文学カフェを開催した。二人の若手を迎えた長崎支部で、長崎県出身の若手作家の作品をとりあげて成功した。 若者コミュメンバー内のとりくみでは、互いの創作作品の合評や講師を迎えた学習会でAIや批評について学ぶことができ、忘年会などの交流企画も大変、好評を得た。 活動は主にオンラインでおこなわれているが、オンライン上でのコミュニケーショントラブルなどを解決するために、講師を招いての自主的な学習会も開催し解決を図ってきた。 広報活動の一環として、若い世代のSNSを立ち上げ文学会の情報発信をおこない、ドイツ在住の留学生が準会員になるという成果を得た。反原発集会や東京の文学フリマなどに出店し、チラシを配布するなど文学会の宣伝をおこない入会者も得ることができた。また、「民青新聞」に文学会の紹介記事を掲載した。 〈文学会の魅力を若者に伝え、読者拡大や新しい仲間づくりを進めるために〉 若い世代の活動が軌道に乗り、それぞれ持ち前の力量と特性を発揮してとりくみの成功を積み上げる中で、文学運動に対する主体的な要求もふくらんできた。その中で若い世代にとっての文学運動の魅力を実感しつつある。その中心にある文学について本音で語りあえる仲間が欲しい、自主的な合評会を通じて切磋琢磨し創作や批評の力を伸ばしたい、という若い世代の要求に積極的にこたえられる活動をいっそう促進していく必要がある。 彼らの抱える具体的な困難に寄り添いながら、民主主義文学運動とは何か、そこに参加して書くことの意味を、シニア世代の経験の押しつけにならないよう留意しながら、的確に伝える努力をする。 文学会の魅力を紹介し、若い世代への訴求力を高めるよう大胆な発想によりホームページの改善を進め、SNSの継続的な発信、電子媒体の活用を図っていく。各地域で開かれる集会や、文学フリマ(二〇二五年六月岩手、八月香川、札幌、九月大阪、十月福岡、十一月東京、二〇二六年一月京都、二月広島)への出店を強化する。 若者向けのチラシやフリーペーパーを作成して文学会の活動内容を具体的に知らせ、『民主文学』の購読と入会申し込みの案内も掲載し集会やフリマなどでの配布、また各支部でも活用できるようにしていく。 若い世代だけでの合評会を頻繁におこなえるように援助する。若い世代がいる支部では、その作品を読み、世代を超えて文学の魅力と生き方を語りあえる文学カフェの開催に、文学会と協力して力を注ぐ。また、若い世代の作品が『民主文学』に掲載されたときには、開催日時をずらしての「作者と読者の会」(オンライン)の開催も検討する。 高齢化で困難を迎えている支部の後継者育成を図るため、各地域、各支部で文学カフェや、『民主文学』の作品、名作を読む会などを開催していきたい。若い世代を迎えて活性化するメリットは支部にとっても大きい。文学になじみのない人たちに、その魅力を伝えるためにできるだけ、その場で読めるテキストを用意するなど参加しやすい形式を考える。とくに首都圏では文学会事務所を活用し、カフェ形式の「居場所」づくりをひきつづき探究する。 新しい書き手として、『民主文学』に作品掲載できるよう援助していくことも急務の課題である。具体的には、年一回の研究集会とは別に、若い世代限定の無料オンライン創作専科、文学教室の創設、第三十一回大会幹事会報告にもとづく民主主義文学運動の歴史と意義を学ぶ講座などもふくめて、早急に具体化したい。また支部誌などへも積極的に作品投稿を促し、それをブラッシュアップしていこう。毎年、四十代以下の若い世代を十人以上獲得することをめざしてとりくみたい。 おわりに 大会が終わると程なく日本民主主義文学会は創立六十周年の記念日(八月二十六日)を迎える。敗戦の廃墟から戦時の文学のあり方への反省を込めて立ち上がり、以後その初心をつらぬいて八十年の歴史を刻む民主主義文学運動は、日本民主主義文学会以外には存在しない。 日本文学は戦時下で文学精神そのものを崩壊させたと、宮本百合子は戦後第一声「新日本文学の端緒」(一九四五年十月)で指摘したが、それから五年後に朝鮮戦争が勃発すると、日本は朝鮮半島への米軍の出撃基地となり、国民は軍事的抑圧にさらされ、戦争批判の言論と運動は弾圧された。文学で反戦の世論と運動を激励していた最中に急逝した百合子は、絶筆となった「『道標』を書き終えて」(五一年一月)でこう記した。 「世界の現実はこんなに巨大で複雑で、はげしく動いている。資本主義社会の内にうまれて、すでにその社会の人間性分裂の操作に多かれ少かれ害されているわたしたちが、自身の様々な不十分さとたたかいながら、なお人類への希望を失わず、人間再建のために自身の民族としての独立と戦争という世界人民に対する殺戮の行為に反対して文学の仕事をしているということは、われわれの文学がそのような本質に立っているというそのこと自身、民主的な人民の文学の連帯的性格を語っていると思う」 戦争か、平和かが激しく問われ、この地球上でなお他国を侵略し、あるいは他国に軍事的に侵攻し、殺戮行為が繰り返されている今日、文学の本質は何かという言葉が世紀を超えて身に迫る思いがする。 文学と文学運動の役割は終わるどころか、ますますその重要さを増している。自身の文学を渾身の力を込めて鍛え、歴史を逆戻りさせている現実に私たちは立ち向かわなければならないのではないだろうか。 現実の矛盾から目を逸らすことのない、現実に埋没しない批判精神に立ち、いかに生きるかを問い、社会と人間の真実を描くことをめざしてきた六十年の歴史を刻む文学運動を次世代に何としても引き継いでゆかなければならない。 世代から世代にバトンタッチする際に少なからず困難は必ず生じる。それを打開するためにも、民主主義文学とは何か、その文芸理論とは何か、その更新の方向性を探求し、創造と批評活動をそれによって育て、鍛え、執筆に挑もう。そして、毎号充実した作品で埋め尽くした『民主文学』をつくり、普及し、会員・準会員、読者を拡大し、支部の活性化を図ることは、歴史に学べば可能である。それを果たすところに文学運動の喜びがある。文学の魅力と喜びを日本全国に広げ、新しい文学の歌声を起こしたい。そのことによって次世代に世界に比類のない文学運動を引き継いでゆこう。
|
|
「民主主義文学会とは」に戻る |