2015年5月に開いた第26回大会の報告です。(第20回以降の大会報告
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 半世紀におよぶ歴史と伝統のもとに、
        時代を切り拓く文学運動の新たな前進を

   ――日本民主主義文学会第26回大会への幹事会報告――
                                                                            報告者  能島龍三


 日本民主主義文学会第二十六回大会は、第二次世界大戦終結後の七十年ならびに、戦後二十年を経て、この国の文学運動の新たな発展を期して産声をあげた日本民主主義文学同盟(当時)創立より五十年、という節目の年に開かれる。
 アジア・太平洋戦争が絶対主義的天皇制と日本軍国主義の敗北で終わったとき、多くの国民は、二度と侵略戦争の悲惨を繰り返してはならないと、廃墟の中で平和で民主的な国としての再建を誓い合った。
あれから七十年たった現在、過去の侵略戦争と植民地支配を肯定する極右勢力の支えによって構成された政権の登場により、日本社会は危険な局面を迎えている。安倍首相は、最大の野望である九条を焦点にした憲法改定に突き進む一方で、民意に背く「辺野古新基地」建設の強行、「労働者派遣法」をはじめとする雇用大改悪にみられる大企業・富裕層優遇による格差・貧困の拡大、医療・福祉切り捨てなど、国民生活無視の諸施策推進で、人心の離反を強めている。
 長期衰退傾向にある自民党政治の基盤の脆弱さを顕わにし、暴走・極右化に危機感を抱く国民の理性の意思表示とともに、新しい共同の芽も生んだ昨年末の総選挙結果は、変革の時代への移行の予兆を明確に感じさせるものであった。
 日本文学全体を見渡したとき、良心的作家たちの手で「三・一一」等を描いた貴重な成果が生み出されてはいるものの、引き続く出版不況やリアリズム軽視の文芸ジャーナリズムの姿勢に示されるように、文学の行く末が問われる厳しい状況は依然として続いている。
 私たちは、戦前のプロレタリア文学運動の伝統と戦後民主主義文学の積極面を受け継ぎ、現実の矛盾から目を逸らすことのない批判精神をよりどころに、いかに生きるかを語り、社会と人間の真実の描出に挑む作品創造を追求してきた。日本文学において小さくない役割を果たしてきた半世紀におよぶ歴史と伝統のもとに、私たちは時代を切り拓く文学運動の新たな前進のために、一層力を尽くさなくてはならない。
 民主主義文学会の五十年をふりかえったとき、幾多の困難を乗り越えてきた道筋は、決して平坦なものではなかった。そしていま、会員・準会員、『民主文学』読者の急速な減少という事態の下で、会の運営面などでもかつてない試練に直面している。
 私たちは、いまという時代に向き合う多様な作品をどう生み出していくか、文学会経営の改革や次世代への継承をいかに成していくかなど、日本文学の発展に責任を負う文学運動の諸課題を直視し、真摯で活発な討論により第二十六回大会を次の十年への更なる地歩を築く出発点とするものである。

一、民主主義文学会の五十年

(1)戦後民主主義文学運動の最初の中心組織であった新日本文学会は、一九四五年十二月三十日、日本文学の民主主義的な発展をめざす全国的統一組織として創立された。『新日本文学』創刊準備号(一九四五年十二月)に発表された宮本百合子の「歌声よ、おこれ」は、日本文学の新しい方向を示し、広い共感を呼び起こした。
 戦後日本文学の民主主義文学としての出発は、絶対主義的天皇制の抑圧のもとで、多くの文学者たちが軍国主義と侵略戦争のうねりに抵抗できなかったという痛苦の反省と、奪われた文学本来の姿を作品の中に取り戻そうとするものだった。創立当初の新日本文学会には、志賀直哉、広津和郞、野上弥生子など広範な作家・知識人が結集した。
 絶対主義的天皇制から主権在民へ、軍国主義から平和主義へ、アメリカの占領という未曾有の歴史の転換点で、この新日本文学会をよりどころとして、多くの文学者たちが出発から二十年近く民主主義文学運動を展開し、戦後文学に大きな役割を果たした。しかし新日本文学会内部には、プロレタリア文学への誤った評価をおこなうグループなど様々な潮流が存在し、安保闘争をへて六〇年代に入ると一部指導部によって会の運営が私物化されるようになった。一九六四年の第十一回大会では、ソ連の持ち込んだ部分的核実験停止条約を支持する特定の政治的立場や、特異な創作方法を運動方針に押し付け、意見の異なる問題は留保すべきと反対した会員を強引に排除するという暴挙がおこなわれた。
(2)新日本文学会の変質という状況を前に、翌六五年八月、プロレタリア文学の伝統と戦後民主主義文学運動の初心と成果を受け継ぐことを明確にした作家・評論家たちが、日本民主主義文学同盟(文学同盟)を創立した。九十三人の同盟員、七百五十三人の準同盟員で出発した文学同盟は、リアリズム研究会の機関誌『現実と文学』を継承するかたちで『民主文学』を発刊し、旺盛な創造・批評活動を展開した。
 文学同盟は、組織の性格、目的を「人民の立場に立って日本文学の民主主義的な発展をめざし、それぞれの文学的、社会的活動によって民族の独立と平和と民主主義のためにたたかう作家・評論家の団体である」と規定した。文学同盟の創立は、歴史的経緯の反映はあったが、文学運動の初心に戻って組織の団結と自主性を守った積極的なものだった。
 以来五十年、私たちは、日本社会の現実に根ざして、何より戦争とそれにつながる反動的潮流に反対し、平和と民主主義を求める立場からモチーフ、テーマ、題材を深めて作品創造に挑んできた。その過程において、一九八三年の第十回大会の直前に起こった「四月号編集問題」では、外国の干渉を排して、自主的に運動を発展させてきた文学同盟の歴史と積極的伝統に反する事態に直面した。本問題を契機として意見を異にする常任幹事が辞任あるいは退会し、一部が文学同盟を外から攻撃するなど、全国の組織で少なくない混乱が生じたが、そうした厳しい試練も克服して、文学運動はとどまることなく前進してきた。
 一九九三年一月からは、創刊以来文学同盟が編集の責任を負い、その発行業務を新日本出版社に委託していた機関誌『民主文学』の自力発行に踏み切った。それは編集体制の強化を中心として、財政、組織活動など、自力発行を支えていく主体的力量の一層の強化が求められる、まさに文学同盟の歴史に画期をなす事業の出発であった。自力発行にあたって「自力発行基金の募集」を同盟内外に訴え、目標を倍する約一千万円に近い基金が寄せられたことは、特筆すべきことである。
 機関誌『民主文学』は本年十月号で六百号を迎えようとしている。『民主文学』の存在は、つねに新しい創造・批評の書き手を生み出し、発表の場を確保する力となってきた。曲折はありながらも、「いちばん身近な文芸誌」として、『民主文学』の月刊を会員・準会員、読者の力で維持し続けてきたのは誇り得ることである。
 その過程では、民主主義文学とは何か、その創作方法についての試行錯誤、探求もおこなわれてきた。それは「たたかう作家・評論家の団体」という文学同盟の性格規定とも関係していた。
(3)二〇〇三年の第二十回大会で、文学同盟は規約改正をおこなった。「日本民主主義文学会」と名称を変更し、会の目的と性格を「日本文学の価値ある遺産、積極的な伝統を受けつぎ、創造・批評、普及の諸活動を通じて文学、芸術の民主的発展に寄与することを目的とする作家・評論家を中心とした団体」と規定した。
 これは、創立以来の成果をふまえつつ時代の変化に対応して、私たちの運動体をより広く、民主的進歩的な、文学を求める人なら誰もが参加できる組織へと発展させる画期的なものだった。またこの大会は、人はいかに生きるかを問いかけ、社会と人間の真実を多様な題材に映しとり、平和と民主主義の道を歩んできた文学運動にこそ、文学本来の方向があることを改めて明らかにした。
 規約改正では「支部は、定例の会合や支部誌の発行などを通じて相互批評と研鑽を積み、創造・批評の力を高め、本会ならびに民主的文学運動をひろげていく役割をもつ」と、その役割を強調した。
 文学会は個人参加の組織ではあるが、支部の活動を通して、それぞれの創造・批評の力量を高め、また、新しい仲間を増やすことで、文学運動を持続させてきた。文学運動を草の根で進めてきたのは全国各地の支部であり、その活動が世界に類のない運動を五十年間支えてきたと言っても過言ではない。
 現在、全国には九十三の支部があり、その多くが支部誌を発行している。『文藝年鑑』にリストアップされた同人誌が五百誌弱であることから見ても、『民主文学』とともに支部誌は、草の根の文学の世界では軽くない比重をもっている。
 民主文学新人賞に、著作の実績をもつ人や、同人誌を経験した人などが応募し入選することにも見られるように、これまでの枠をこえて、民主主義文学が広く注目されている。その中から新しい書き手も生まれ、文学運動に新風を吹き込んでいる。『民主文学』誌上にも多様なテーマや題材の作品が登場するようになり、創作上も新たな活気を呈している。
規約改正から十二年、民主主義文学運動の社会的存在意義、日本文学の民主的発展に寄与する組織としての役割はかつてなく大きくなっている。
 暴走政治が続く中で、現在、多くの国民がどう生きるかの真剣な模索をしている。その中には、社会と人間の真実をとらえ描く文学への要求をもつ人も決して少なくはない。新しい時代には、新しい文学の歌声が起こる。
そのことに確信をもち、私たちは勇気を持って今日の時代の根本課題に立ち向かい、日本文学の新たな地平を切り拓こうではないか。

二、日本文学の動向と民主主義文学運動

(1)極右政権のもとで問われる作家の真価
 戦後七十年を私たちは、日本国憲法に支えられた戦後民主主義を破壊しようとしている安倍政権のもとで迎えた。二〇一一年三月十一日の東日本大震災によって、文学者たちの多くは、「言葉」を生業とするものとして、自らが生み出す言葉が社会に対してどのような有効性と意味をもつのか、それぞれの仕事の全体を問い直さずにはおかなかった。さらにその後の四年余の時間のなかで、極右政権の誕生という時代に向き合って、一層その思いを強くしていると言えるだろう。
 安倍政権が抱く反動的野望は、日本国民が戦後七十年にわたって築き上げてきた、平和と民主主義という「戦後の精神」(大江健三郎)を根底から覆す危険性を持っている。とりわけ憲法改定について安倍首相は、「自民党の結党以来の目標」「歴史的なチャレンジだ」と言ってはばからない。自らの宿願である「戦後レジームからの脱却」、即ち憲法の明文改定に向けての策動と同時に、秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認の閣議決定など、国民の多数の声を無視して、日本を海外で戦争ができる国に向けての施策をなし崩し的に推し進めている。
 こうした状況の中で、日本ペンクラブは、昨年の十二月八日に「太平洋戦争開戦の日に当たって」とする声明を発信した。声明は今日の状況を「重苦しい気配」と表現し、「惨憺たる歴史の反省から再出発した日本は、近年、大きく変質しようとしている」として、特定秘密保護法、集団的自衛権の発動、原発推進をあげて「これらが、かつての強権的な国家、絶対の国策の再来でないとしたら、いったい何だというのか」と述べている。さらに、玉砕・空襲・原爆・飢餓・抑留等々の悲惨な戦争体験から学んだ痛切な教訓こそ「未来を見通す決定的な手がかりとなる」と訴えた。
 民主主義文学会は、この日本ペンクラブの認識を共有するものである。昨年十二月の第四回幹事会は「この様相は社会全体のファシズム化を想起させ、文学が時代にどのように対峙していくのか、戦前・戦中のような時代を再来させるのか、鋭く問われています」(「戦後民主主義を守り、時代の逆流を阻止するために総選挙にあたって呼びかけます」)とする決議をあげた。今こそ、「強権的な国家、絶対の国策の再来」を阻止するために、幅広い文学者との共同の輪を広げていかなければならない。
 一九三一年の「満州事変」に始まり、十五年にもおよぶ日本の侵略戦争は、プロレタリア文学運動を弾圧・破壊し、文学者の目と耳と口を塞ぎ、彼らの多くを戦争に動員した。多くの作家の「言葉」が戦争に奉仕させられたのである。この痛恨の教訓を私たちは忘れてはならない。
 星野智幸は、エッセー集『未来の記憶は欄のなかで作られる』で日の丸・君が代法案が成立した一九九九年を「右傾化元年」と設定し、「右傾化十五年」となる二〇一三年を「国粋元年」と呼びかえると宣言した。星野は「戦争」という言葉が飛び交う最近の状況をふまえ、その言葉にいつのまにか「洗脳」される弊害を説き、「言葉のそのような呪術的作用を批判できるのは、これまた言葉である。単純化された言葉の呪術化を、言葉で批判する行為が、文学である。私は、いまこそ、文学が本当に必要な時代だと感じている」と述べている。
 時代への迎合と現実への批判、この二つの対立軸が鮮明になってきている点に、現在の日本文学の特徴があると言ってもいいだろう。

(2)文学本来のあり方への模索
 『出版月報』二〇一四年十二月号の「2014年 出版動向」は、昨年の出版界は消費税増税の影響で「急激な販売不振に陥っている」と指摘している。文芸では「映像化作品や文学賞受賞作などが売れる一方、そうした話題のない作品が売れない二極化がますます進んでいる」と分析しているが、いきおい書店には売れ筋のエンターテインメント作品が所狭しと置かれるようになってきている。現在の文学状況が極端な大衆小説的な娯楽の方向に流れていることは否めないが、だからこそ一方で、人間の理性を覚醒させ、人間の生き方を問う文学への渇望と期待も存在している。三十四年前の一九八一年十二月、日本の文学者たちは、井伏鱒二、井上靖、木下順二、堀田善衛、安岡章太郎、吉行淳之介、大江健三郎らを呼びかけ人として「核戦争の危機を訴える文学者の声明」を発表し、広く署名活動に取り組んだ。文芸各誌もその活動をとりあげ、文学が時代に向き合う姿勢を示した。しかし今日の文芸誌の編集の実態は、非政治的な閉塞の状況にあると言っていいだろう。たとえば、昨年、『新潮』六月号は創刊一一〇周年記念として「今日から始まる文芸の未来」と銘打った特大号を発行したが、この企画の意図では「文学的な想像力の最前線を示す」「虚構の力で世界と人間のむき出しの姿を描き出す」「既成の価値観に亀裂を入れる」などとは語っても、そこに時代の危機に文学がどのように向き合っていくかという問題意識は見られなかった。他の文芸誌も同様で、そのような編集企画はほとんどないと言っていい。この異様な閉塞状況の中で、『民主文学』が「東日本大震災、原発事故から三年」「今、戦争と文学を考える」「緊急発言 憲法改悪を許さない」「戦後文学の原点を考える」などの特集を組んだのは、現在の文芸誌の中で極めて積極的なものであった。関東圏の地方紙「東京新聞」が「解釈改憲反対を訴える主な団体」の中に、「作家ら」として日本民主主義文学会のみを紹介しているのもそういう状況のあらわれであり、民主主義文学運動の存在意義をも示していると言えよう。同時に、一般文芸誌の閉塞に関しては、民主主義文学運動の書き手の排除という事実があることにも注意を喚起したい。
 しかし、一般文芸誌の閉塞とは対極的に、少なくない作家たちのなかに、文学固有の仕方で、時代と現実に目を向ける傾向が出てきているのは、前大会以来の特徴である。津島佑子が述べているように「三・一一」が「日本に住む小説家に『小説家の転機』を迫り続け」ているからとも言えるだろう。そこには新たな模索があり、挑戦がある。私たちは、民主主義文学運動の創作の実質を高めながら、文学本来のあるべき方向への、日本文学全体の模索のその努力の一端を担っていかなくてはならない。そのためにも、会外の文学者たちとの創造・批評をめぐっての対話や共同を意識的に追求していく必要があるだろう。
 前大会では「ひと頃過剰になっていた遊戯的、消費的傾向が沈静化し、時代や現実に真摯に関わって書いていこうとする文学本来の在り方を取り戻す動きが出て来ていることは確かである」と、「三・一一」以降の文学状況について指摘した。この動きは引き続き一つの流れとなっている。第一二五回芥川賞を受賞した小野正嗣の「九年前の祈り」(『群像』一四年九月号)はその一例であろう。発達障害のあるハーフの息子を育てるシングルマザーが、人のつながりの中で絶望を乗り越えていく姿を、地方の自然と風物の中で描き出した作品である。
 戦争に関わる作品では、前大会で若手の戦後世代の手で戦争が描かれてきていることに注目したが、この二年間でも中村文則「A」(『文藝』一四年夏号)、「B」(『新潮』一四年六月号)、高橋弘希「指の骨」(『新潮』一四年十一月号)など戦争体験のない三十代の書き手たちが戦争の現場を描いたことは特筆されるべきであろう。中村は中国戦線での日本軍の蛮行を描いて今日的視点からその兵士の内面に迫り(「A」)、また日本軍「慰安婦」の悲劇を取り上げた(「B」)。高橋は南方戦線で死にゆく兵士たちの悲惨と彼らの無念を、無謀な作戦との関わりで描いた。
 百田尚樹の『永遠の0』は、文庫でおよそ五百万部を売り上げ、映画化されて七百万人が鑑賞し、さらにテレビドラマ化までされるという空前のヒット作となった。主人公は零戦の天才搭乗員で、家族と人間の生命を何より大事にするという劇画的な設定に特徴があった。最後に主人公は特攻死を選択するが、その結末は少なくない読者の反響を呼んだ。戦争での死を悲惨なものと感じ、戦争は嫌だという思いを抱いた人も多かった。しかしながらこの作品は、侵略戦争への本質的な批判を欠き、あの戦争で死んだ兵士たちが、国のために人生を捧げた尊い「英霊」であるという感覚を抱かせる巧妙なつくりになっている。
 金石範がインタビュー「死者たちの語れなかった言葉を刻む」(『民主文学』一四年十月号)で、「記憶の他殺というのは、権力側から絶対に緘口令でしゃべらせないようにする。だから声を出して泣くこともできなければ、悲しむ自由さえないわけです。そのような状態が済州島では半世紀続いたわけです。(略)そういう状態で、自分を守るために、自分で記憶の自殺をやる」と述べているが、現在日本で活発化している歴史修正主義の動きは、いわば記憶のねつ造である。中村文則、高橋弘希の試みようとしていることは、そうしたねつ造に対して、戦争を知らない世代がその真実をえぐり出す試みであると言えるだろう。青来有一「悲しみと無のあいだ」(『文學界』一四年七月号)は、長崎で学徒動員中に被爆した父親の、語らなかった悲劇の実相に迫ろうとした作品であるが、現代に生きる主人公の戦争と被爆への深い問いは、そのまま今日の戦争へと向かう時代への省察へと読者を誘う。
 木村朗子『震災後文学論』(青土社)は、いくつかの作品を例証にして、震災後新しい質の文学が生まれているという事実を指摘している。たしかに東日本大震災、その後の原発事故は、単に被災の悲劇だけを問題にするのではなく、日本の社会構造が抱える本質的な問題に作家の目を向けさせるものとなっている。津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(講談社)は、「三・一一」を、米軍占領下に生まれたたくさんの混血児の存在という歴史的現実にまでモチーフを広げて書いた。また多和田葉子『献灯使』(講談社)は、大きな原発事故後の、国の形も人間のあり方も変質した世界を舞台にした未来小説の形をとっているが、作者自身が被災地を歩き、その実際を目に収めたうえでの現実社会への批判を形にしたものである。柳美里『JR上野駅公園口』(河出書房新社)は、上野公園にすむ東北出身のホームレスの境涯に、東日本大震災の悲劇もないまぜながら、天皇を頂点とする日本社会の格差の構造にまで視野を広げた作品として一つの成果だと言えよう。木村友祐「聖地Cs」(『新潮』一四年五月号)は、原発事故で放射能に被曝した牛の世話をする人々の苦闘に重ねて、現実を糊塗する政治を批判している。大江健三郎は、「三・一一」後に生きる自身のありようの模索を『』(講談社)でまとめたが、戦後の精神としての平和と民主主義を守る行動に立ち上がることにこそ、自身の人生の意味があるという、自覚の高まりをそこに滲ませている。
 多和田葉子『献灯使』もそうであるが、この間「三・一一」とその後に関わる問題を、想像上の世界を舞台にして提出する創作も多かった。SF的近未来、あるいはパラレルワールドを舞台にした吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋社)、上田岳弘「惑星」(『新潮』一四年八月号)、清野栄一「チェルノブイリⅡ」(『新潮』一四年九月号)、田中慎弥「宰相A」(『新潮』一四年十月号)、古川日出男「鯨や東京や三千の修羅や」(『すばる』一四年十月号)、海猫沢めろん「呼吸」(『文藝』一四年秋号)、吉村萬壱「希望」(『文藝』一四年秋号)などの諸作品である。考えさせられるのは、設定された世界のほとんどが、放射能等による深刻な環境汚染や、新しい戦争、残虐、不条理の渦中にあるということである。そのような作品世界を想定した作者のねらいに、そこを生きる人物の苦悩や葛藤に仮託しての、この国の政治・社会のありようへの批判があることは言うまでもないことである。しかし、その企てが成功していると言い得る作品は一部にとどまっている。そうした状況を考える時に、作家の現実認識と創作方法上の問題とともに、このような想像上の世界に仮託してしか現実の告発・批判をし得ないということもまた、現代文学の問題の一つとして指摘しておきたい。
 一般文芸誌の若手によって、職場での苦難や社会での生きづらさを、力を込めて描き出した作品がいくつか生み出されている。新庄耕「オッケ、グッジョブ」(『すばる』一三年九月号)、木村友祐「猫の香箱を死守する党」(『新潮』一三年七月号)などである。新庄耕は、労働の成果を上げるためには人間性を投げ捨てていかなければならないという、現代の働き方の問題に迫った。また木村友祐は、アルバイトや非正規労働のありようを告発し、そういう状態におかれた青年たちがその反動としてファシズム化していく状況を描いた。こうした作品は、日本社会の構造がもたらす格差の拡大という本質的問題に迫るものとして注目される。しかしながらこれらの一連の作品の後、こうしたテーマを扱う作品は、私たちの期待したようには書かれていない。時代や現実に真摯に関わって書いていこうとすれば、職場の苦難や生きづらさを、その要因である社会構造にまで踏み込んで描かざるを得ない。そこをどのように乗り越えていくのかという点で、書き手の中に混迷があるのではないかと考えられる。
 芦崎笙『スコールの夜』(日本経済新聞出版社・第5回日経小説大賞)などは、本筋である労働現場のありようから外れた結末に不満は残るものの、一流銀行のエリート女性管理職の苦悩をリアルに描き出した。この間、エンターテインメント系の作品の中に、現代社会の構造的矛盾と非人間的側面に批判的な目を向けて書かれたものがあった。葉真中顕『絶叫』(光文社)は、貧困と格差と非正規労働の拡大の中で、普通の一人の女性がどのように社会的に転落していくのかを、現代の保険会社や風俗店での労働のリアルな実態と絡めて描いた。
 労働のありようが、かくも過酷で非人間的なものに変貌させられているいま、書き手たちの目がそこに向けられていることは現実の反映である。同時に現状の問題点解決のためにさまざまに取り組まれている労働者のたたかいや運動にも目を向けていかなければ、作品世界の真のリアリティーも獲得できないであろう。

(3)民主主義文学の創造
 東日本大震災、福島第一原発事故から四年を経過したが、本質的な復興も、原発事故の収束の見通しも立っておらず、一方で軍国主義復活の野望を秘めた暴走政治が進んでいる。そうした政治状況のもとで、民主主義文学運動は、今日の現実をいかに生きるかの問いかけを深く湛えた作品を多様に生み出してきた。創造活動の今期の到達点として言えるのは、民主主義文学運動の書き手が日常のうちに、社会と関わり生きていく、その内面に湧き上る人間の喜び、悲しみ、苦悩、憤りをいつわりなく表現することによって読者の共感を呼び覚ましていることに集約されよう。
 東日本大震災、原発事故が文学者に「転機」を迫ったことは先に述べた。それは重要な成果を生みつつも、この国の未来を暗く塗り込めることによって批判的に描く傾向も色濃く示している。一方民主主義文学の書き手は、震災後の現実をふまえてそこからどう出発するかを追求する作品を生みだしてきた。「海洋投棄」「夜更けの訪問者」など原発事故がもたらしたものを連作的に描いてきた風見梢太郎は「再びの」(「しんぶん赤旗」)で、職場のたたかいにどう後継者を育てるかという話を一つの軸にしながら、原発事故後の人びとの変化を描いた。また、永澤滉「赤い万年筆」は地盤調査会社の専務を主人公に、原発の海外輸出でない企業再生の道を選ぶ苦悩をとらえた。野里征彦は『渚でスローワルツを』(本の泉社)に収められた作品で、津波による被害の衝撃を刻印しつつ、復興へと向かう被災地の人びとの複雑な心情を描き出した。震災の記憶を忘れさせ、原発再稼働を進めようとする動きのなかで、「三・一一」後の現実とそこに生きる人びと、新たな運動の広がりをとらえ描き出す、多様な挑戦が求められる。
 日本を海外で戦争する国へ変えようとする策動が進められているなか、改めて過去の戦争を問い直す作品が生まれていることは、戦後の民主主義文学運動が日本文学の戦争協力への反省を出発点としていたことから見ても重要なことである。吉開那津子「波濤の彼方」はトラック島で戦死した父親の戦争を追体験する旅に赴く人間の姿を描き、能島龍三「青の断章」は特攻隊員を主人公に当時の真実を描こうとした。青木陽子「口三味線」は芸事好きの夫の出征を通して当時の庶民の実相を伝えている。寺田美智子「墨ぬり」は軍国教育をしてきた女教師の反省をとらえ、神林規子「小さな戦争遺跡」は母校に奉安殿が残った謎を追った。これらの作品には二度と戦争を許さないという強いモチーフがある。戦後七十年を迎えて、戦争を直接経験した人が少なくなり、体験の継承が困難を迎えている中、前大会が指摘した「綿密な取材と関連資料の読み込み、想像力を豊かに働かせての大胆な創作」が民主主義文学の書き手に求められている。さらにもう一歩踏み込んで言えば、軍需産業と軍部の癒着等、資本主義の要請としての侵略戦争という、あの戦争の本質に迫る事実の発掘や形象化も今後の重要な課題である。
 国家主義と結びついた管理の強化が進む教育の現場を、子どもたちの成長と教職員の連帯に視点を置いて描く作品が民主主義文学の中で引き続き生まれていることは、日本文学の全体で独自の光を放っている。長編では、場面緘黙児の担任となった主人公が、悪戦苦闘しつつも、新たな希望を生み出していく様をとらえた柴垣文子『校庭に東風吹いて』(新日本出版社)があった。同じく松本喜久夫「明日への坂道」は、大阪維新の会による君が代起立条例・教育基本条例の攻撃の中で成長する青年教師を描き出した。また短編でも、攻撃性をもった精神障害のある生徒に向き合う教師を描いた能島龍三「北からの風に」や、教育基本法改悪を契機に活動から遠ざかっていた退職した教師の再生に挑む姿をとらえた、青木資二「拳」があった。
 労働現場を描いた一般文芸誌の作品から、労働者のたたかいや運動への視点が欠落している中、民主主義文学運動が創作の実質をもって応えていく重要性はさらに大きくなっている。田島一『続・時の行路』(新日本出版社)・「二つの城」は、非正規労働者の解雇撤回、地位確認を求める困難な裁判闘争を通して、司法と大企業がいかに労働者の切実な声に背を向けるものであるかを、作者自らが関わって小説化するという手法によって示した。最上裕「陸橋に降る雨」は部下にリストラの面談を行う中間管理職の主人公の苦悩を通して、また、仙洞田一彦は「朝ビラ」で退職勧奨をされる管理職の組合加入を描くことで、労働者を切り捨てる企業のあり方を批判的に描き出した。
 第十回新人賞の笹本敦史「ユニオン!」は生協の業務を請け負う会社での労働組合結成を描き、第十一回新人賞の竹内七奈「せつなげな手」は郵便局の非正規職員の孤独な心情をすくいとった。利用者との訪問看護でのふれあいを描いた橘あおい「黒いぶち猫の絵」、JRの職場を定年退職する労働者に対する組合差別を告発した瀬峰静弥「送別会」、障害者雇用の現実をとらえた石井斉「倉庫番」、非正規労働者へのパワハラを描いた東喜啓「ポニー教室」など、若い世代から今日の職場を見つめ、作品化する新たな試みが生まれていることに注目したい。
 この間、商業主義に立つ一般文芸誌の作品の大半は、奇を競い、ひたすら遊戯的、技巧的、妄想的方向に走り、近代文学の発生以来、文学への本来的要求としてある「いかに生きるか」の問いに背を向ける、あるいは等閑視する傾向にあった。それに対して、二十五大会期の民主主義文学に、日常を深くとらえた作品が数多く生み出されてきたことは、日本文学の中での文学運動の存在価値をはっきりと示していると言えよう。
 現代社会が生みだす貧困や孤立化は、家族の結びつきにも影を落としている。須藤みゆき「月の舞台」(「しんぶん赤旗」)は、死んだ母との関係にわだかまりを持っていた薬剤師の女性が、薬害問題や叔母との共同生活を通して新たな一歩を踏み出していく姿をとらえた。秋元いずみ「COLOR」(『女性のひろば』)は受験や家族関係で悩む二人の女子高生が、劇団の活動を通して自分を見出していく過程を描いた。工藤勢津子「山の端に陽は落ちて」は、老老介護の中でも意義ある人生を送ろうと模索する女性の姿を切りとり、井上通泰「村の墓」は継母への複雑な思いを、妻の思いに重ねて立体的に描き出した。林田遼子「大雪の朝に」は、「満州」から引き揚げてきた家族の戦後の苦闘を背景に、こだわりを持っていた兄への思いを痛切に描き、旭爪あかね「約束」は、アルコール依存に陥りかけた母親が小学生の息子と交わした約束によって立ち直る姿を描き出した。
 人生の来し方をとらえる作品も目立った。工藤勢津子「帰郷」は人間不信により共産党を離れていた女性が、過去と現在をたどり返し進みゆく道を探る姿を描き、仙洞田一彦「四十年後の通夜」は、病で戦地から送還され屈辱の人生を送った亡父の、秘めた矜持に気付かなかった息子の悔いをすくいとった。丹羽郁生「里かぐらと秋風」は、六十年安保闘争や社会党の浅沼委員長が刺殺される時代の農村を舞台として、父親の精神病院入院という状況におかれた少年の姿を、独自の方法で描いた。高橋英男「鍵屋のお爺さん」は時代の波に翻弄される島のお爺さんの姿を通して、仕事と人の生きがいについて考えさせた。
 この間の長編では、重要な指導者を失いながらも、早稲田大学や共産党の支援を得てたたかい続ける女性たちに焦点を当てた野里征彦「こつなぎ物語 第二部」や、韓国の現実を通して、国の違いを超えた真の友好とは何かを追求した原健一「胸壁を越えて」などがあった。
 この二年間に、二〇一四年五月号の「新鋭短編特集」、二〇一五年三月号の「〝次代〟の創作特集」と二度の若い世代特集を組み、松本たき子「アラサー女子がいく」、加藤康弘「黄金の国」、浅野尚孝「きみのとまり木」と、初めて『民主文学』に登場する書き手も生まれた。
 読者の期待に応えて、小説の人間描写を通して生きる意味を考えようとする作品があったことは見て来た通りだが、生み出される優れた作品が量的に少ないと同時に、人間が真に浮き彫りにされているかという質的な意味においても十分とは言えない。失敗をおそれず、果敢に挑戦することが求められる。
 自身の書いている作品が読者にとって普遍的意味を持つかどうかは、絶えず書き手の内部で問い続けられる必要がある。それは作品の今日性とも関わる問題である。過去に題材をとる場合であっても、作品は今日の現実への問題意識に裏付けられて書かれているはずであり、そこに何らかのかたちで現代という時代の本質がつかみとられていなければならない。現在がどんな時代なのか、現在に生きる自分とは何か、いかに生きるべきなのか、いかに眼前の矛盾を打破すべきなのか。こうした問いかけこそが、文学作品を生み出す原動力であろう。
激動の時代にあって現実のありようは単純ではない。錯綜した現代を描く、あるいはそこに立脚して描く文学作品が、経験のみにとらわれていてよいはずはない。多様な題材、多様な主題が選ばれなければならないと同時に、取材はもとより、それらに相応する構想力、方法的挑戦が切に求められている。「三・一一」以後、この国には新しい現実が突き付けられている。極右勢力が推進する反動的な政治状況のもと、それに立ち向かう人びとの新しい動きが確かにわき起こりつつある。その声を、その姿をすくいとることは、今日の文学運動に課せられた重大な責務ではないだろうか。引き続きの奮闘を呼びかけたい。
 ルポルタージュでは、「東日本大震災、原発事故から三年」の特集で、野里征彦「進まぬ集団移転」、北原耕也「復興へ、願い、焦り、失望」、伊東達也「被害地福島はどうなっているのか」と被害の大きかった東北三県の状況を伝えたのをはじめ、小林雅之「人間の尊厳と労働」、大浦ふみ子「とんでもない! ウイルス実験施設」、野瀨義昭「演習場のどまん中に千人の踊りの輪を」が掲載された。会外から辺野古の新基地建設やオスプレイについての原稿も寄せられたが、時代とそこで生きる人間を映し出す文学的ルポルタージュの創造にも力を入れる必要がある。
 『民主文学』の連載エッセーでは、著者が出会った文学者とのエピソードを通して民主主義文学会の創立期を描いた鶴岡征雄「私の出会った作家たち──民主主義文学運動の中で」、東北大学イールズ闘争、「学力テスト」反対のたたかいなど戦後の民主化運動の歴史を丹念にたどった柏朔司「ある『戦時下世代』の軌跡」が完結した。

(4)民主主義文学の批評
 民主主義文学の批評では、文学を通してあらためて戦争と戦後を問うものが数多く生まれた。それは文学運動の出発点に立ち返ると共に、今日の政治状況に対する上でも重要な仕事であった。二〇一三年八月号の特集「今、戦争と文学を考える」では、風見梢太郎「火野葦平の軌跡」、松木新「『生きている兵隊』が描いた現実」、下田城玄「佐多稲子と戦争責任」、岩渕剛「〈絶版声明〉までの徳永直」が書かれた。また、二〇一四年八月号の特集「戦後文学の原点を考える」では、岩渕剛「戦後の現実と文学の原点」、鶴岡征雄「梅崎春生の戦争と文学―─『桜島』について」、稲沢潤子「堀田善衞『祖国喪失』における民衆の発見」、松木新「『迷路』にみる反戦平和の思想」、岩崎明日香「宮本百合子から女性たちへ―─『播州平野』『風知草』と評論活動」が書かれた。さらに、下田城玄「田中英光の戦後の初心」、谷本諭「加藤周一における戦後の原点」も同様の問題意識に基づいたものだった。
 現代文学の話題作についても、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(石井正人)、大江健三郎『晩年様式集』(松木新)津島佑子『ヤマネコ・ドーム』」(宮本阿伎)、柳美里『JR上野駅公園口』」(石井正人)、佐伯一麦『渡良瀬』(岩渕剛)、村上春樹『女のいない男たち』(北村隆志)、池澤夏樹『アトミック・ボックス』(小林八重子)が、それぞれの問題意識をもって書かれた。
 また、長編完結作については、「月の舞台」(塚原理恵)、「校庭に東風吹いて」(秋元有子)、「COLOR」(須藤みゆき)、「こつなぎ物語」(瀬戸井誠)、「時の行路」(馬場徹)、「明日への坂道」(北村隆志)でそれぞれ論じた。新たな評論の書き手を生み出すことが求められている中で、執筆者を広げることが大事になっている。
 『民主文学』では、二〇一三年十一月号で緊急発言「憲法改悪を許さない」を組み、会外の文学者を含め三十四人の発言を掲載したほか、金石範「死者たちの語れなかった言葉を刻む」、津島佑子「『ヤマネコ・ドーム』に込めた思い」の二つのインタビュー、加藤幸子の文学教室講義録を掲載してきたが、日本文学の民主的発展をめざす立場からの会外の文学者との協力・共同も大事になっている。
 過去の文学遺産の捉え直しとして、宮本阿伎「百合子の新しさの本質」、尾西康充「獄中作家を支援する女性たち」、成澤榮壽「島崎藤村『破戒』の批評について」が書かれたが、今日的な視点をより鮮明にしてさらにこのような評論活動を進めて行く必要がある。この間、創立期から文学運動の先頭に立ってきた何人もの先達を喪った。その文学的成果を受け止める意味から、宮本阿伎「不滅の業績――『小説 朝日茂』『忘れ得ぬ人』」、北村隆志「『わが笛よ悲しみを吹け』のこと」、新船海三郎「倒れてのちに――右遠俊郎の最後の十年」、牛久保建男「人間の美しさを追い求めた文学世界――初期作品から『和歌子・夏』の世界へ」、風見梢太郎「宮寺清一の仕事――『雷鳴論』にも触れて――」などが書かれたが、こうした仕事は文学運動の継承にとって重要である。
 牛久保建男「人はなんによって人となっていくか」、岩渕剛「人間の尊厳をまもるために」が書かれたが、現代日本文学の動向論や文芸思潮論への、批評の意欲的取り組みも求められている。
 『民主文学』二〇一四年五月号では、「創作方法の探求」を行い、青木陽子「小説における視点の問題」、牛久保建男「文学における題材とは」、小林昭「人間を描く、ということ」、松木新「小説の面白さ」が書かれた。乙部宗徳「『通俗』とは何か」を含め、『民主文学』掲載の諸作品が更なる高い峰に向かっていくために、創作方法の分析を軸とした作品論の活発化も求められる。
 第二十三回全国研究集会は、「創作専科」的分散会を設け、『民主文学』掲載作の批評・分析と討論を通じて、参加者の創作水準の向上を目的とした。この集会での久野通広「いま、文学ができること――孤独から連帯へ 須藤みゆきの挑戦」をはじめ六人が問題提起したように、民主主義文学の実作を踏まえて、文学理論・批評理論をさらに深化させる仕事が求められている。リアリズム論の深化も含む理論的探求への関心を高めていく必要がある。
 『民主文学』の文芸時評は、他の文芸誌がおこなわなくなっているなかで、現代の文学動向を見据えながら、作品の価値および文学のあり方を社会的視座でとらえる上で、重要なものになっている。また支部誌・同人誌評も、集団討議によって内容をより良くする努力がなされている。取り上げた作品の良し悪しや技術的な指摘とともに、会員・準会員の創作への力になるような批評への努力がさらに求められる。
二年間の批評の成果は見てきた通りだが、文学動向論や文芸思潮論への取り組み、それらを視野に入れて、日本文学のうちに現代の民主主義文学運動を積極的に位置づける取り組み、次代を担う批評家の養成などが課題として残されている。
 もとより文学運動における批評には、生み出された作品にどのような価値があり、何が不足しているのかを本質をきわめて分析し、的確な考察のうえに、そこに一層の意欲と前進への努力を引き出すことが切実に求められている。それがもし果たされるなら、作者ばかりでなく、運動全体の書き手たちの意欲を高め、励ましとなるに違いない。批評家たちはその努力を通してこそ、文学運動を前進させる役割をなし遂げることが可能になるのではないだろうか。
 また批評は批評家たちによってのみ担われるものではないことも自明のことである。作家を成長させるのは、作家内部の自己批評の力であるとはよく言われることだが、もとより作品創造の源泉は現実への批評精神である。小説の書き手自らも、自作への批評、また他の作家の作品の批評によって自作を力強いものに鍛え、ひいては文学運動全体の批評の力を向上させる役割を担うということを意識していたい。

 この間の会員の成果がまとめられた「民主文学館」では、工藤勢津子『遠い花火』、風見梢太郎『風見梢太郎原発小説集』、松本喜久夫『明日への坂道』の三冊が刊行された。この他、この二年間には多くの会員の著作が刊行された。一部を記せば、野里征彦『こつなぎ物語』第一部~三部、東喜啓『被災大企業』、増田勝『茜色にそめて』、津上忠『評伝 演出家土方与志』、稲沢潤子・三浦協子『大間・新原発を止めろ』、大浦ふみ子『ふるさと咄』、鶴岡征雄『鷲手の指』、なかむらみのる『信濃川』、尾西康充『戦争を描くリアリズム―石川達三・丹羽文雄・田村泰次郎を中心に』などである。

三、五十年の文学運動の更なる発展をめざす組織づくりを

(1)この間の文学会の組織状況は、全国的な組織拡大への取り組みにもかかわらず、会員・準会員・定期読者ともに減少傾向が続いた。二〇一四年十二月末の時点では、第二十五回大会時と比べて会員・準会員で六十四人、定期読者で百三人の減少という事態となった。また実売部数が二千五百部台の月も生じるなど、組織的に非常に厳しい状況が続いた。大会直前の四月末現在では、二十五大会時比で会員・準会員は六十八人減少となっているが、定期読者はプラス四十となった。これは全国の構成員の奮闘の結果でもあるが、一五年四月号から始まった畑田重夫さんの連載エッセイの効果も大きい。文学会にとっては大変ありがたいことであるが、この読者増はあくまで期間限定であるということを忘れてはならない。また、作品創出に直接たずさわる会員・準会員の漸減を食い止められていないのは、文学創造団体として危機的な状況である。これは、会の年齢構成から予測できるものであったが、その急速な進行に組織建設が追い付いていない状況を冷厳に示している。私たちはこの実態を直視し、「民主文学の灯を消すな」をスローガンに、これまで以上に周りの多くの人に呼びかけるなど、総力をあげて会員・準会員ならびに、『民主文学』を支える読者の拡大に向かっていかなければならない。
 同時に私たちには、社会と人間の真実に迫る力のこもった作品を『民主文学』に寄せ、一層魅力ある「身近な文芸誌」として誌面を充実させる仕事が課せられており、そのことへの自覚を怠ってはならない。
(2)文学会の財政は、組織現勢の後退や消費税増税等による影響で、難しい運営を余儀なくされたが、『民主文学』発行コストの低減、諸経費の削減・節約の努力により、二十五回大会期を何とか乗り切ることができた。しかし今大会期の先行きは予断を許さない状況にある。組織の後退がこのまま推移するならば、雑誌の発行や活動規模を縮小せざるを得ない事態に追い込まれるのは必至である。常任幹事会は、数年先を見越した経営予測を適宜実施しているが、文学運動を存続させるために、今後思い切った改革に踏み込んでいくのも止むを得ないであろう。
(3)現状の困難打開のために常任幹事会は、文学運動の核をなす全国の支部の活性化を重点課題として、二〇一四年三月から、〈支部活動強化期間〉を設定し、ミニ文学教室や創作専科、文芸講演会、会外にも目を向けた読者会などを呼びかけ、それらを支援する諸活動に取り組んできた。この間、北九州、埼玉東部、民主文学えひめの会、盛岡、多摩東、茨城、いわき、秋田、宮崎、野猿の会などの各支部では、常任幹事会の呼びかけに応え、常幹の支部訪問・合評会、文学講座、文芸講演会、支部誌発行周年記念などの諸行事を、独自の工夫もこらし多彩に開催してきた。しかしこれらはまだ端緒の段階であり、相互の連絡を密にすることにより、支部と常任幹事会との意思疎通を深め、困難を抱える支部への援助を強めるなど粘り強い努力が求められている。
 二十五回大会期には、茨城と野猿の会の二つの支部が新しく結成された。茨城は、支部結成後に支部誌も創刊し、創作活動のよりどころを得て活発な動きを見せている。野猿の会も、講演会を自主企画し、地域のさまざまな運動と連携しながら、支部の存在を広く知らせる努力を続けている。他にも、いくつかの地域で新支部結成の動きが始まっている。支部結成により新しい結びつきが得られている現実は、支部活動が文学運動にもたらす力を確信させるものであった。
 創造に向かう書き手の新たな登場、そして組織の維持発展という見地からも、支部活動の充実強化は急務である。互いの激励的批評を通して、それぞれの文学的な力量を高め、創造への意欲も増す元気な支部活動を推進するには、例会において『民主文学』掲載作品などの合評を充実させ、自らの糧にしていく姿勢が重要である。また、各地で開かれる研究集会や文学教室、創作専科、山の文学学校などへの参加で個々が得た成果を、支部全体のものにしていくことも大事である。同時に長い文学歴を有する支部の先達とも言える人たちには、全体の創作力のステップアップのための温かい援助も期待されている。
 新しい人を迎えて支部の雰囲気が変わった、という報告も寄せられている。書くいとなみを大切にする集団での相互研鑽により、それぞれの文学世界は深まってゆく。活性化はその構成員によってもたらされることを肝に銘じたい。
 いま力を注いでいる総合的な支部活動の支援に際して、組織活動強化募金は、交通費・宣伝費等の財源として、大きな力となっている。今大会期も引き続き有効な活用をはかり、組織強化のための諸活動を展開していく。
(4)文学運動を次の世代に引き継ぐことも急がれている。二〇一三年十一月、神奈川県の七沢温泉で、四回目の「若い世代の文学研究集会」を開催した。今回も、全国からの参加を得て、パネルディスカッションや合評会を通しての研究と交流が活発におこなわれた。研究集会の参加者の中から、『民主文学』に新たに登場する書き手も生まれている。
また、『民主文学』掲載作品を対象とする、「若い世代の文学カフェ」も、それぞれの地域の支部の協力のもとに、名古屋、横浜、千葉県市川市で開催され、新しい交流の芽が生まれている。カフェの準備の過程で、青年団体や女性団体への働きかけをおこなうことにより参加者が広がりをみせ、また支部の力添えで世代をこえた結びつきが深まり、互いに刺激し合うという結果にもつながっている。今後も全国での開催を視野に、若い世代の結集をはかる計画を重視していく。
 若い世代に限らず、広範な人びととの結びつきを、幅広く探っていく努力は貴重である。現在の文学会は、一九四〇年代生まれの層が比較的厚いが、そのうち半数ほどが、この十年の間に加入した人たちであり、その中から新しい書き手も次々登場している。そうした経緯からも、〈心さわぐシニア文学サロン〉を重視し開催する意味が窺える。今大会期に開いたシニアサロンでは、社会と人間への問題意識を共有する世代が、文学作品の合評にとどまらない広がりをもって集まった。文学は生涯現役である。広範なシニア世代が集う場として、斬新な企画も検討しながら魅力ある内容で展開していきたい。
(5)今大会期には、文学会創立五十周年を記念して、『民主文学』臨時増刊号を刊行(二〇一六年四月)し、「民主文学創刊五十年記念文芸講演会」を全国各地で開催する。増刊号は、小説・評論ともに民主主義文学の近年のすぐれた成果を収録するものである。また、文芸講演会は、『民主文学』というだけでなく、各地の支部の宣伝・強化も主眼に据え、工夫を凝らした開催の提案をもとに、幹事会の派遣する講師と、その地域代表の講師で構成することを検討している。増刊号の普及と講演会の開催によって、半世紀におよぶ民主主義文学運動の存在を広くアピールし、文学運動全体の活性化に志高く向かっていきたい。
(6)創作研究会は、第二十五回大会期から、自主的な研究組織として新たに出発した。創作研究会の主催するさまざまな企画は、新しい仲間を増やすうえで重要な役割を果たしている。今回初めて昼間開催を試みた文学教室は、新規参加者を多く迎え、その中から創作専科に通う人もあらわれた。土曜講座での外国文学の取り組みは、講師を引き受けてくださった会外の研究者に、文学会の存在を知らせる契機にもなった。毎年一月に持たれる「山の文学学校」は、現地で恒例の行事として地元メディアにも取り上げられるようになり、社会的にも注目されている。東京文学散歩も含めてこうした行事が成功裏におこなわれていることは、生きる糧としての文学を求める層が広く存在することを示すものである。創作研究会はここに確信を持ち、創造・批評の水準向上をはかる研究活動とともに、新しい仲間を迎え入れる、積極的な運動を進めていくことが期待される。

 七十年間守られてきたこの国の平和が危機に瀕している。現政権が葬り去ろうとしている憲法第九条は、おびただしい人びとの犠牲と悲嘆の上に築かれた、非戦と平和の誓いであった。敵対と武力行使が憎悪の連鎖を生む悲惨な現実を、二十一世紀に入って幾度目にしたことだろう。悪しき連鎖の環に、この国の青年を組み込むことを、私たちは決して許してはならない。
文学は、人の心のうちに他の心を受け容れ、他者への想像力を育む営みでもある。それは本然的に平和を志向する。社会が大きく揺れ動いているいま、民主主義文学に突きつけられている課題は大きい。文学の形象により、平和と民主と人権の擁護をもたらす言葉を多くの人の胸に届ける努力が、とりわけ強く求められているのではないか。人が人として、よりよく生きられる世を実現するために、遠回りではあっても文学の果たす役割は大きい。そのことを胸に刻み、半世紀にわたって続いた運動をさらに大きく豊かに育てつつ、私たちは創造・批評に向かっていくものである。


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