2007年5月に開いた第22回大会の報告です。(第20回以降の大会報告)
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危機の時代と民主主義文学運動
   ――日本民主主義文学会第二十二回大会への幹事会報告――
                                                                報告者  田島  一


 日本民主主義文学会第二十二回大会は、戦後六十一年を経た日本が、憲法を改定して、「戦争をする国」に突き進む道を許すかどうかの歴史的な岐路で迎える。また、教育、雇用、医療、福祉など国民生活のあらゆる分野
で、未曾有の危機に直面しているもとで開かれる。
国民の生活・権利より資本の利益を優先する社会状況に抗して、理性を保とうとする文学者の声と行動も広がっているが、日本文学はこれまでにない激しさで商業主義に押し流されている。内容の価値より販売の数量を至上とする出版ジャーナリズムは、文学の批評精神を著しく後退させ、「文学の危機」は従来にまして深刻なものになっている。
 一昨年、創立四十周年を迎えた民主主義文学会は、記念出版や各地の文芸講演会、「百合子の文学を語る集い」など一連の行事を成功させ、文学を求める多くの人たちのエネルギーと熱い期待を見ることができた。これは、四十年間一貫して、人はいかに生きるかを問いかけ、社会と人生の真実を多様な題材に映しとり、平和と民主主義の道を歩んできた私たちの文学運動にこそ、文学・芸術の本道があることを示したものでもあった。
 社会の閉塞状況が強まり、真に人間的感動を呼び起こす文学世界の創出が求められているいま、民主主義文学に問われる責務は重い。日本民主主義文学会第二十二回大会は、この要請に応えるために、前大会以後二年間の創造・批評の成果を見すえて、民主主義文学運動の諸課題と今後の展望を明らかにし、さらなる前進をめざしていくものである。

一、岐路に立つ日本文学

(一)任期中の憲法改定を公言する安倍首相は、アメリカの従属下で海外に派兵し、武力攻撃をも辞さない国づくりを急いでいる。しかしアメリカのイラク政策の破綻は、国連憲章を無視して侵略戦争を始めたことや占領支配の失敗、米国民の反戦運動の拡大などで、今日ますます明白になっている。
 いま世界の世論は、旧軍事同盟の解体が進み、各地域に自主的な平和の共同体が生まれる動きにみられるように、平和と国際協調志向に転換しつつある。国連憲章に基づく平和秩序をつくり、軍事的にも経済的にも覇権主義を許さない流れが主流となっているときに、安倍内閣の異常さは突出している。世界が日本に求めているものは、憲法九条を持つ国としての、平和をめざす自主的な外交路線であり、決してアメリカの言いなりになる道ではない。
 “靖国史観”を信奉する顔ぶれをそろえた安倍内閣は、昨年の臨時国会で教育基本法の改悪を強行した。さらには、憲法を踏みにじる悪法「防衛省」法を成立させるなど、憲法改定を正面の政治課題にすえ、国民投票制度をふくめた「改憲手続き法案」を成立させようとする重大な段階を迎えている。
 しかしこうした改憲路線が、平和を希求する人々との矛盾を深めていることは、「憲法改正反対」がインターネットの「ヤフー」の調査で五三%をしめたことや、参議院選挙で「憲法改正」を争点とするのは好ましくないと答えた人が四八%にのぼった、朝日新聞の世論調査結果などからも見ることができる。
 「九条の会」は、二〇〇四年六月のアピールの発表以来、この二年半余で六千組織を超えた。思想・信条の相異にとらわれない、草の根で「会」が広がっていく動きは、憲法九条を変えさせてはならないという多くの人びとの危機感の現れであり、メディアからも、「改憲に慎重な九条の会が続々誕生し、浸透しつつある」と注目されている。
 この間文学分野においても、民主主義文学会も加わる文化団体連絡会議主催の「輝け憲法九条・文化の集い」や、「九条の会・詩人の輪」が開催した「輝け九条! 詩人の集い」、そして「九条歌人の会」による「歌に兵は無用です 憲法を考える歌人の集い」、俳人「九条の会」のつどいなど、広範な文学者を結集する催しも活発に取り組まれた。文学会の会員・準会員は、それぞれの居住地における「九条の会」に加わり積極的に行動している。民主主義文学会は、九条擁護の国民世論を広く喚起し、改憲阻止の流れをより強固なものとするために、いっそう力をつくすものである。
 今日、憲法第二十五条で保障された生存権の形骸化や、労働現場の無法ぶりにみられるように、憲法を骨抜きにする攻撃が露骨につよめられている。憲法を守るたたかいは、国民生活のあらゆる分野で、憲法の精神を実現させるたたかいと密接に結びつくものであり、国民的な大運動として進めていくことが、とりわけ重要になってきている。
 住民のいのちを危険にさらした耐震偽装事件、ライブドア事件、そして、安定した雇用が提供されないことを背景にしたフリーターやニートの増大、「ワーキングプア」にみられる所得格差と貧困の広がり、偽装請負による企業の公然とした違法行為など、いまこの国では「構造改革」に起因する衝撃的な問題が続出している。これらはいずれも、むきだしの弱肉強食への移行を企図する、「新自由主義」の政策を根底に生じたものである。
 バブル崩壊時に青年期を迎え、戦後最長の経済停滞期に社会に出た、二十五歳から三十五歳にあたる約二千万の若者たちは、第一次大戦後のアメリカに現れた現象になぞらえて、一部ジャーナリズムから「ロストジェネレーション」と呼ばれ、新しい生き方を求めてさまよえる世代とも言われている。生育の過程から今日まで、「新自由主義」路線による格差社会の被害を集中して受けた世代でもある。フリーターをはじめとする膨大な非正規社員を抱える社会構造のもとで、企業への帰属意識が薄れ、自らの納得できる生き方を追う、従来とは異なった価値観も、彼らからは見てとることができる。正社員で順調な軌道に乗っていても、自身がいつフリーターになるか分からないという恐怖に絶えずさらされながら若者たちは生きている。この世代が社会の中核となる時代は、遠くはない。日本の現実を彼らはどう背負って生きていこうとするのか、文学としての新たな関心事と課題が、ここに提出されている。
 いま世界各地で、「新自由主義」の路線が破綻している。「新自由主義」は、一九九〇年代、旧ソ連の崩壊による「資本主義勝利論」と一体で声高に宣伝されてきたが、九〇年代後半には、失業の増大、貧富の差の拡大、貧困層の急増など、米国の例に典型的にみられるような矛盾が集中してあらわれている。
 財界・大企業の利潤追求の自由のみを最大限に保障するこの路線は、ラテンアメリカの国々の大統領選挙で、その是非が争点となったが、経済民主主義と独立した国づくりをめざす左翼勢力が大きく票を伸ばして、拒否された。こうした「新自由主義」否定の流れは、ベネズエラやブラジルなど左翼政権による民主的変革が新しい前進を生み出していることや、経済力の伸びの著しいインドにおいて、左翼主導の州政府が、中央政府の「新自由主義」の政策に対抗した住民本位の政策の実施で強い支持を受けていることなど、世界各地の動きからも明らかに見ることができる。
 政府与党は、財界の強い要請のもとに、労働者の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の法案を今国会に提出しようとした。定められた基準年収などいくつかの要件も、拡大解釈が可能で歯止めになる保障のない悪法は、世論の猛反発を受けて先送りとなったが、法制化が断念されたわけではない。「目標管理」で締めつける成果主義賃金制度下で、身体と心の病が跡を絶たない現状に、追い討ちをかける蛮行を許してはならない。
 七月におこなわれる参議院選挙は、改憲阻止はもちろんのこと、人間精神をふくむあらゆるものが壊されようとしている日本の現実にストップをかけ、再生に向けて奥深い変化を生み出していくという点で特に重要な意味を持っている。この国の荒廃を深めている自公政権に痛打を与え、現状打開への積極的な国民の意思が示されることにより、参議院選挙の結果が明るい未来の展望を開く出発点になることを、私たちは期するものである。
 いま世界のメディアは、グローバリズムの進行のもとで、国際的な系列化が進んでいる。米国中心の価値観、世界観が情報の場に持ち込まれていることが特徴的であり、アメリカを中心とする政治の報道はあっても、世界や国際社会に目を向けて報じようとするメディアの姿勢は弱い。これは日本の政治報道が、政局を精力的にとりあげても、政策や政治をまともに公正に報道しないことにも通じている。
 今日ジャーナリズムが正常に機能していないため、放送法改悪の動きなどもふくめ、現状打開の方向が見いだせないとの指摘がある。一九三〇年代初頭ドイツで、ナチズムが大衆の閉塞感を利用して政権を獲得し、ファシズムを確立していった状況との酷似を危惧する声も聞かれる。時流におもねることなく政治や社会を語り、この国と国民のためのジャーナリズムを取り戻し、ムードではなく、平和と民主主義に基づく水先案内人になることがメディアには求められているであろう。
 昨年の憲法記念日の社説における大手全国紙と地方紙の論調に、著しい差がみられた。政権にすりより日米同盟優先の立場を一段と強める全国紙に対して、北海道新聞、河北新報、東京新聞、信濃毎日新聞、中国新聞などがいずれも、現憲法を護る骨太な論調で国民世論の存在を感得させ、注目を引いた。「日の丸・君が代」予防訴訟における東京地裁判決について、「朝日」、「毎日」、「東京」をふくめた二十社の、支持する社説掲載には、時代の趨勢に迎合しない、ジャーナリズムの良心を見ることもできた。
 民主主義文学会はこの間、「共謀罪」法案の廃案を求める声明、改憲策動と「国民投票法案」の提出に反対する声明、そして「教育基本法」改悪法案に反対する数次にわたる声明や、予防訴訟における東京地裁判決を真摯に受けとめ、「日の丸・君が代」の強制中止を求める声明、六カ国協議再開を歓迎し、朝鮮半島の非核化の早期実現を求める声明、九条改憲と一体の改憲手続き法案の廃案を強く求める声明などを発表し、時々の事態に迅速な意見表明をおこなってきた。また、『民主文学』二〇〇六年十一月号特集では、「教育基本法改悪を許さない」緊急発言を募り、小中陽太郎、笹山久三、高崎隆治、寺島アキ子氏らの登場も得て、改憲阻止を広くアピールしてきた。私たちは、この国が歴史的岐路に立たされているいま、憲法をまもり平和と民主主義、国民生活擁護のために、さらに力を尽くすものである。

(二)前大会以後日本文学は、ふたつの大きな流れがより鮮明となってきている。それは、今日の反動化が強まる時代状況に抗して理性の言葉を刻む作家たちの存在と、商業主義をいっそう進行させ、作家と作品を消耗品としてあつかう文芸・出版ジャーナリズムの潮流とに象徴的に示されている。
 共謀罪新設法案、北朝鮮の核実験などで緊急声明を発表した、日本ペンクラブや「九条の会」の文学者たちの平和や表現の自由をまもろうとする積極的な活動、そして随想集『夢か現か』を著し、時代が音立てて望まない方向に流れて行くいま、自分を納得させるために戦争に関わる小説を書きたいと述べる高井有一の姿勢などの一方で、それらが主潮となっていないところに日本文学の現状がある。かつては政治や思想の問題にも反応してきた文芸誌が、憲法、教育、労働、人間精神などの重大事態に口を噤み、文学者個人の断片的発言を紹介するにとどまっているのは、異様でさえある。このような社会的関心の喪失は創造における主題・題材の選択、方法における混迷と結びつき、現代文学の大勢は、時代や現実への批評精神を置き去りにして流されている。
心ある作家たちは、こうした状況のもとで、戦後六十年を契機に、あらためて戦前・戦後の日々を追い、平和について問いかけ、今日の現実に真摯に向きあう作品を生み出してきた。
 辻井喬『終わりからの旅』は、敗戦の翌年に生まれた新聞記者の主人公と、捕虜体験を持つ元陸軍少尉の異母兄のそれぞれが、戦後をいかに生きるかを主題に描き、戦争体験を持たない世代が反戦の論理をどう構築していくかを問いかけた。
 加賀乙彦『雲の都 第二部 時計台』も、核問題やハンセン病問題に目覚めつつ、時代の現実に向き合う青春の姿を作品世界に刻みこんだ。
 金石範は、『火山島』の続編にあたる『地底の太陽』で、壊滅した島から日本へ脱出してきた主人公のその後の再生を主題に、気迫の書に結実させた。李恢成は『地上生活者』で、ソ連・東欧の崩壊による情勢の激変を背景に、自らの半生をとらえなおそうとしている。
 大江健三郎「さようなら、私の本よ!」は、今日の時代の進みゆきを直視し、絶望に抗いながら何ができるかに挑んだ作品として注目される。アメリカを中心とする「巨大暴力」に「小さな暴力の蜂起」を対峙させ、デビュー作「奇妙な仕事」の虚無的な世界に立ち戻って、現代を問う試みが有効かの論議も呼び起こした。
 井上ひさしは、戯曲「夢の痂」において、終戦直後の東北の農村を舞台に、戦争への反省と責任の問題を追い、今日にもつながる日本社会の主体的なありように、強いメッセージを投げかけた。竹西寛子は「五十鈴川の鴨」を描き、広島の原爆投下から六十一年を経てなお、「広島が言わせる言葉」を書き続ける作家の姿勢を見せた。林京子「ラ・ラ・ラ、ラ・ラ・ラ、」も、日中戦争当時の記憶をふり返り、いまに思いをめぐらす作品であった。
人の生、そして終末を厳かに語りかけた、小島信夫『残光』や、吉村昭「死顔」など、老練の書き手の作品も話題を集めた。
 佐伯一麦は、自身の体験をもとにしたルポルタージュ「石の肺 アスベスト禍を追う」で、アスベスト被害の広がりとそれを放置する為政者を鋭く告発した。
 このように日本の現実に目を注いで生み出された作品の一方で、次々と新しい書き手を登場させる、文芸ジャーナリズムのあざとい商法を指摘しなければならない。出版界は、ポプラ社小説大賞の二千万円賞金などにみられるように、売れるエンターテインメント作家の発掘に懸命で、もはや編集者が時間をかけて作家を育て、作品の普及に力を尽くすことはなくなってきているといってよい。一種の風俗化現象といえるケータイ小説の配信や書籍化に、出版不況からの打開をもくろむ動きもある。
 前大会幹事会報告は、文学創造における方向喪失の現状について、「文学の主題、題材を作者が把握し得ると信じられる身近の世界に限定して描く『狭窄の傾向』」の問題を指摘した。この傾向は、今日の状況を絶望の目でとらえる無力感と、先にあげた利潤第一主義が一体となって進行し、現実の根本に関わることからの逃避を作家たちにつよめさせている。それは、文芸ジャーナリズムから評論、とりわけ文学動向論が希薄になってきている傾向とも無関係ではない。批評が軽んじられ、「大勢の人が良しとするかどうかが評価の基準になる傾向」の強まりは、成熟した書き手と読者を減少させる結果を生み出している。
 日本の文学とそれをふくむ日本の文化が極度に閉鎖的に進む傾向に対して、「日本の現代文学が、そのいま落ちいっている窮境をつうじて、日本文化全体の先行きのモデルを示している」(大江健三郎)と危ぶむ声もある。
日本の近代文学の伝統は、人がいかに生きるかについて、的確な文章表現をとおして読み手に語りかけてくるものであった。今日、経済効率をすべてに優先させる社会の論理に押し流され、現実と格闘する文学の存在が窮地に追いやられている。文学本来の力の衰退は、文学への関心を人々から喪失させ、人間存在そのものへの無関心にもつながりかねない。現に、社会の閉塞状況は目を覆うばかりであり、人と人との関係もまっとうに築けない荒廃は極度に達している。良質な文学が今ほど求められている時代はない。「文学以上に人生に必要なものはない」と言われる文学が、どこにいきつくのか、真価が問われている。
 こうした現況にあって、前述した文学の力を発揮しようとする流れは、先に上げた作品の他に、『すばる』に掲載された、中沢新一・太田光の対談、「憲法九条を世界遺産に」にも見られた。これは後に刊行されベストセラーとなり、九条を守る運動の大きな力となっている。また厳しい出版状況のもとで、「ヒロシマ・ナガサキ」六十周年の年に『林京子全集』(全八巻)が刊行されたことや、『金石範作品集』(全二巻)の上梓、『國文学』5月号「戦争と文学」の特集などに、読み手と出版界の見識の存在をみることができる。
 良識ある文学の流れが、少数とはいえ若手作家のあいだにも位置をしめていることは、暴力を題材に心の病の中からの再生を描いた、第百三十三回芥川賞受賞の中村文則『土の中の子供』によって示された。人間性を蝕む現代の病弊を明らかにし、人間の極限的な悲惨を精神的に乗り越えようとする姿が作品にはとらえられている。
 若い作家たちによる、労働という普遍的な主題を通して現代を描こうとする試みも目立った。
 長嶋有『泣かない女はいない』は、大手電気メーカーの下請けの物流会社で働く女性労働者の目から、リストラに揺れる現代の労働者の姿や企業の現実に踏み込んだ作品であった。第百三十四回芥川賞受賞の絲山秋子『沖で待つ』や、第百三十五回芥川賞受賞作の伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』の二編も注目されてよい。ともに、労働の場における人間と人間の関係を描いている。前者では、女性総合職と同期入社の男性との行き交いが新鮮な目でとらえられた。労働の現実に深く入りこむ視点がないという意味からは、風俗小説の域を出ていないと言えなくもないが、労働現場を独特の作風で描こうとする姿勢は貴重なものと言える。伊藤たかみの作品は、飲み物の自動販売機の供給にたずさわる中年女性と若い男性の仕事を通しての絆の深まりが、生活者の視線でてらいなく描かれている。現代社会の片隅で、消費に振り回される過密労働の実態がよく切りとられているが、しかしここから、混迷の状況を変えていこうとする道が見えてくるわけではない。
 この他にも、女性の書き手により職場が描かれた宮崎誉子『少女@ロボット』や、昨年の『文学界』と『群像』の新人賞受賞作品なども、女性への処遇が向上しているとはいえない企業の現実が描かれており、関心を呼んでいる。
 これらの労働の場に材を得た作品は、働く者が心を通わせながらも、なぜ連帯していけないのかについての、思索が深められていないことで共通している。個々の人物に目は向けていても、社会的な視点で労働の場を見つめようとする意識の希薄さが指摘できるし、これは文学に何を求めるのかという文学観の問題ともかかわってくる。しかし人間にとって最も基本的な働く人間の姿が作品に描かれることは、私たちの文学運動が長年追求してきた経緯を思うとき、新しい潮流として受け止めたい動きである。
 被爆体験を持たない世代による、原爆文学の新しい波ともいえるいくつかの試みも見られた。青来有一「貝」、田口ランディ「被爆のマリア」などは、いずれも原爆の悲惨をどう描くかという作者の明瞭な問題意識が読み取れるものであり、同様の主題で、安達千夏「忘れないで」などもあった。これらの作品は、十分な説得力のある世界を構築出来ているとはいえないが、原爆を描き続ける書き手のモチーフには、私たちも学ぶべき多くがあるといえよう。

二、創造・批評のより高い峰をめざす民主主義文学

(一)民主主義文学はこの二年間、今日の時代を鋭くとらえ、人はいかに生きるかの主題を一貫して追求し、全体として多彩な作品世界を結実させてきた。
 歴史の岐路に立つ今日の時代を正面から映しとり、森与志男は『普通の人』を生み出した。「君が代」斉唱の強要をめぐって揺れる二〇〇三年からの都立高校を舞台に、さまざまな苦悩をかかえて葛藤する教師、生徒の集団に光を当て、混沌の現状から明日を切り開こうとする、教育現場のたたかいを印象深くとらえた。「都立校を変え、東京から日本を変えていく」と豪語する石原慎太郎知事が、いち早く導入した「人事考課」制度や「日の丸・君が代」の強制などにより、教職員の痛苦は特別に深い。予防訴訟東京地裁判決に呼応して、本書を多くの人々に広げようという積極的取組みも生まれた。創造の成果を、普及によって現実の力にしていこうという試みは貴重なもので、改憲への動きが急速に強められるなかで、同時進行といってよい速さで描かれた点でも、大きな意味があった。
 丹羽郁生「杭を打つ」もまた、都立の学校現場の急激な変化のもとで働く事務労働者を主人公に、フチークの生きた時代を重ねあわせることによって、現状に抗して流されない生き方を模索し、広く問題を投げかけた。
保育行政の貧困と劣悪な労働条件のもとで、若い保育士たちはいかにたたかい、人間性と仕事への誇りをわがものとしていったかを描いた、稲沢潤子『早春の庭』は、自己を変革し成長していく一九六〇年代の若者たちを、いまに生きなおすものとしてすくいとり、青春の普遍性を作品世界に刻印させた。
 戦後史を一個人の身の上に投影させた、吉開那津子「夢と修羅」第三部が完結した。この国の戦中・戦後を背景に、時代に翻弄される主人公と家族の姿をとらえ、困難に直面しながら生きぬいた庶民の原風景を描出し、第一部、第二部とあわせて、大正・昭和の激動の時を照射する叙事詩としての結実をはたした。
 良質な文学作品が求められている時代に、右遠俊郎は、「私の花さか爺」で、商業主義による通俗化を鋭く批判したことは特筆されてよい。
 今日の「戦争をする国づくり」に向けた急速な動きに抗して、戦争・戦時体験を追い、平和について問いかける作品が創出されたことも、民主主義文学の特徴をしめすものであった。山田郁子「疎開家族」は、大阪育ちの少女を主人公に、昭和十九年から、高等女学校への進学、敗戦を経て、新憲法施行にいたるまでの時代を描き、倉橋綾子『永い影』は、五十代の女性が、自らの戦時の行動に謝罪の意思もつ父親と一貫して関わることによって、戦争責任の問題を現在に提起した。草川八重子「小石のはなし」も、ふたつの小石の思い出をとおして、過去の戦争への姿勢の違いを描き、今日の危険な動きに重ねた作品であった。能島龍三は「爆薬」で、歴史認識を有しない若者と対比させて、いまになお影を落としている日本軍の侵略による悲惨を描いた。『民主文学』での連載がまとめられた今崎暁巳『いのちの証言』は、関東軍の一員として毒ガス弾を埋設した元軍曹の、シベリアでの捕虜体験を経て、戦後の民主的運動にかかわり裁判の証言に立つまでを追った人間ドキュメントであった。また、稲沢潤子「星条旗とゴッホ」は、イラク戦争をめぐっての、アメリカのもうひとつの素顔を描いた。
 企業と労働の場を舞台にした作品を、民主主義文学はこの間も多様に生み出してきた。『民主文学』連載の野川紀夫「時の轍」では、オイルショックによる不況が口実の指名解雇を拒否した、工作機械製造企業の五人の男たちの十三年間のたたかいが描かれた。パソコンと関連機器を販売する企業の転籍問題を軸に、働く人々の姿をとらえた仙洞田一彦「ダイちゃんの決心」、技術労働者を主人公に、企業の製品開発と下請け労働者の複雑な態様に視線を注いだ竹之内宏悠「八幡原工業団地」、正規と非正規雇用の労働者により構成される、最先端の研究現場を描いた櫂悦子「謝辞」などは、いずれも今日の労働の場の現実に踏み込んだものであった。
 こうした作品を送り出した他方で、最近の『民主文学』誌上の労働現場を描いた世界が、ともすれば回想的、懐古的になりがちだという声も聞かれる。今日、ワーキングプアに見られるような過酷な現場の実態にかみあった作品を望む読み手の要求は、重く受け止められる。また、現在の複雑な職場の状況に目を向けたとき、現実変革に挑む労働者たちのたたかいを主軸にすえて描かれなければ、労働現場のほんとうの深刻さは見えてこないのでは、というリアリズムの問題としての指摘もある。
 民主主義文学はこれまで、企業と労働の現場に現代日本のさまざまな矛盾の集中を見、そこに繰り広げられる人間のドラマを、どのように描いていくかをつねに重視してきた。ここに実りある作品を生み出していくという見地からも、成功した作品や弱点も有した作品など、実作に即して深く分析し論じることを、批評の重要な仕事として位置づける必要がある。いま、個に着目しながら、組織や社会との連関を意識的に視野に入れ、深く描いていく文学のあり方が試されているときでもあり、現代の企業と労働者を描く課題への積極的な挑戦が求められていることは言うまでもない。
 教育基本法改悪を始めとする、教育の反動化に執念を燃やす安倍内閣のもとで、今日さまざまな攻撃が仕掛けられている。学校におけるいじめも、勝ち組・負け組という価値観で成り立つ社会のゆがみに、根本では結びつくといえよう。競争と労働強化でしばられるおとなたちの余裕のない日々や、若い親たちの不安定な就労状況が生み出す人間関係のいびつさ、そして成果主義で厳しく管理される教師たちの多忙さなどが絡み合って、荒廃する教育現場の問題解決を困難にしている。宮城肇は中学校における教育の場に光を当て、苦悩しながら力をつくす教師たちの姿を描出した『さまよえる子ら』をまとめ、注目された。また、同窓会出席のために、閉山になった炭鉱の街を訪れた主人公が、四十数年前の「日の丸」掲揚をめぐる記憶を、今日の子どもたちの置かれた状況に重ねて描き出した、小川かほる「こどものいる風景」もあった。
 たがいの人間関係の破壊は、心の病などもふくめて家族・家庭の人間的つながりにも複雑に影響を及ぼし、残忍な事件や社会問題を続出させている。福祉の切り捨てが過酷に進行する状況のもとで、老いと介護の問題も深刻である。こうした様々な現実を多彩にとらえ、どのように作品化していくか、文学としての課題は多い。青木陽子『日曜日の空』は、子どもたちとの価値観のギャップを軸に、人生への新たな模索に進んでいこうとする五十代の女性たちの姿をとらえた。また、林田遼子「いもうと」では、死を迎えつつある妹を前にして、老いと貧しさのなかでの兄と姉の心の行き交いが描かれた。原洋司「最初の雪花」は、老人介護施設の送迎運転手の目から、今日の介護の現場を見つめた作品であった。
 ハンセン病に加え、在日朝鮮人として二重の差別を味わった苦しみ哀しみに目を注ぎ、林東植は「道程」ほかを描いた。ハンセン病を描く新しい書き手が現れたことにも、民主主義文学の生命力をみることができる。また柴垣文子「鎮守の杜」では、谷あいの村の氏子組織に浸透した、非合理主義に対抗する人間模様がとらえられた。
栗木英章は、企業の開発にとりこまれて多忙な夫と、引きこもり状態の娘でばらばらになった家族の再生の物語を、名古屋と辺野古の海を舞台に戯曲「美ら海」で展開し、真の平和を築く問題を投げかけた。
 民主文学や文芸誌の新人賞で登場した、若い世代のこの二年間の活躍も特筆される。旭爪あかねは、辛さを背負いながらも懸命に生きる青年群像を追い、明日に向かう若者たちの生と未来を問いかけ、『風車の見える丘』や「ミシンと本棚」を発表した。渥美二郎「恋文」は、小学生の娘と暮らすシングルファーザーの視点から、自身の日常と輸送船で戦死した祖父たちの生き方を問い、過去と現在をつなぐ道を見出そうとする主題に踏みだし、新たな小説作法上の工夫をしたことも注目される。効率主義、競争原理の只中に置かれた青年が、困難に向き合い新しい発見をしながら成長していく姿をとらえた、横田昌則『靴紐を結んで』も、この間まとめられた。浅尾大輔は「ソウル」で、アルバイトをしながら小説を書く三十五歳の主人公と、傷を負って生きる青年たちとの行き交いを通して、人間の連帯と文学の可能性を追求した。本作における現代の非正規雇用労働の実態への切り込みは、いかに描くかの試みでもあった。民主文学第六回新人賞で登場した秋元いずみの、臨時採用で教育現場に入った教師の目から、母親による子どもへの虐待をとらえた「銀の鳥」や「少女たちの瞳」、そして、母子家庭の母親への主人公の屈折した思いと奇行を重ね、自らの存在と家族を描いた須藤みゆき「冬の南風」などの作品も注目された。
 生きがたい現実のもとで、困難に向き合い懸命に生きようと努力する若者の姿は、今日いっそう多様に描かれなければならない。個人の日常を社会全体のあり方に結びつけてとらえる視野や知性は、すぐれた文学作品から得られるものであろう。近・現代の内外の文学から学びつつ、自らの文学世界をつくり新しく挑むという創作姿勢はとりわけ重要であり、若い世代の書き手のみならず、民主主義文学全体として更なる努力が求められている。
 ルポルタージュは、激動する社会の出来事を描くのに適した文学のジャンルである。しかし最近の民主主義文学では、作品自体の少なさが実態としてあり、その重要性にもっと関心が払われる必要がある。この間では、大震災のあと、現地に設けられた日本共産党の救援センターに参加するボランティアたちの活動を取材した、なかむらみのる『新潟県中越大震災 日本共産党救援センター物語』をはじめ、見田千恵子「『タコ・クラゲ弾』の正体」や、山形暁子「このまま人生終えられない」などが書かれた。
 いまこの国は、新たな貧困のもとで、人として生きることができない人たちを生み出している。現代文学の多くは、「いかに生きるべきか」を語らず、困難な状況下に存在する人間的なものへの渇望にも応えていない。ここに民主主義文学は、危機の時代に拮抗し、真に人間的な感動を呼び起こす文学の創出を真剣に考えていかなければならない理由がある。現状の厳しさは、それを打ち破りたいと願う人たちの思いを強くしている。そこに人々が結集していく、連帯の可能性を描き出す作品創造がなされれば、今日の日本文学が陥っている窮境を打開する道に必ずつながっていくであろう。
 『普通の人』や『憲法九条を世界遺産に』を読んで、たたかう自らの力にしたい、という受け止め方が、今日ひとつの流れとして広がりつつある。そうした良心の叫びに応えて、私たちはどのような作品を創りだしていくのか。民主主義文学の創造の課題がここに提起されている。
民主主義文学の書き手は、日ごろから、自らをとりまく社会や現実への鋭い問題意識を有している。しかし一方では、創造に向き合う姿勢の安易さも指摘できる。そのひとつが己の生きてきた道を手軽に作品化する傾向である。それがかけがえのないものなら、もとよりとがめられることではないが、狭い自己の体験を文章化することに急で、自らのモチーフがどのような社会、思想状況と結びついているかを探究する目がおろそかにされている面も否めない。自己の体験の狭い枠にとらわれず、文学世界の広がりをどう獲得し結晶させていくかという課題こそ、さらに追求されなくてはならない。
 「民主文学館」シリーズでは、前大会後新たに本の魅力を広げていくうえでのニュースの発行などのこころみもおこなわれ、神林規子『泥だらけの手帖』、山形暁子『山形暁子短編小説選』、柴垣文子『おんな先生』、柏朔司『風花の頃』、青井傑『東山道武蔵路』、山城達雄『監禁』、宮城肇『さまよえる子ら』、能島龍三『分水嶺』、原恒子『雪の坂道』、近藤瑞枝『春のあらし』、山田忠音『奔流』らの刊行が相次いだ。また、北野敏子『時を抱く』、山中郁子(秋元有子)『倦まざりて来たりし』など、この二年間に会員の著作、作品集は数多く出版された。これらはいずれも、一冊の書として多くの読み手に伝わるものであり、その成果がまとめられたことは貴重である。

(二)今日の日本文学の動向をたえず敏感につかみ、作家と作品に即した的を射た論評により問題提起をしていくことは、民主主義文学の批評活動においては特に重要である。文芸誌で作品論や文学動向論が展開されなくなった状況のもとで、『民主文学』誌上での評論の持つ意味は大きくなってきている。この間の批評活動をふり返ってみると、作家・作品論ならびに民主主義文学の成果や課題について、多様に論じられてきた。
 戦後六十年と『民主文学』四十周年を記念して、ふたつの特集が組まれた。「戦後60年・民主文学40周年記念 民主文学作品論特集」では、牛久保建男「『海と起重機』の視点の意味」、北村隆志「右遠俊郎と朝日訴訟」、松木新「『東方の人』の世界」、澤田章子「冬敏之の初期短篇群」、乙部宗徳「霜多正次『明けもどろ』について」、久野通広「戦後六十年に『落葉をまく庭』を読む」、草川八重子「稲沢潤子『紀子の場合』を読む」、須沢知花「山口勇子『荒地野ばら』を読む」、燈山文久「森与志男『時の谷間』を読む」、三浦健治「吉開那津子『希望』を読み返す」など、民主主義文学の四十年の成果が今日の地点に立って論じられたのは意義深いことであった。これからも、過去に生み出されてきた作品について大いに論じ、民主主義文学の歴史を引き継いでいくことは強調されてよい。「戦後60年記念作品論特集」においては、梅崎春生「桜島」(鶴岡征雄)、大岡昇平「野火」(能島龍三)、堀田善衛「広場の孤独」(松木新)遠藤周作「海と毒薬」(小林昭)、安岡章太郎「海辺の光景」(岩渕剛)、大江健三郎「個人的な体験」(中村泰行)、高井有一「北の河」(小林八重子)、黒井千次「五月巡歴」(三浦健治)などの論考がそれぞれまとめられた。
 日本文学の現状に目を向けた作家・作品論としては、作品世界における「現在へのあきらめ」を最近作に即して指摘し、戦後民主主義の後継者を自認する知識人としての、大江の今後の仕事への期待をこめて論じた、新船海三郎「絶望にはまだ遠くて ――大江健三郎“チェンジリング”三部作に」や、戦争を知らない世代の作者が、過去の沖縄を自らの問題として描くことに注目した、小林昭「沖縄と目取真俊の文学」などがあった。新日本文学会の解散にともないまとめられた『「新日本文学」の60年』に対し、乙部宗徳は、戦後の民主主義文学運動への恣意的な叙述や、民主主義文学会への中傷に事実に基づき反論を加えるとともに、彼らの路線の帰結が今日の事態を迎えたことを適切に論じた。
 戦時下の作家の身の処し方を追い、現代をどう生きるかを問いかけた、乙部宗徳「貫かれているものは何か――堀辰雄の一九三〇年代」や、倉橋由美子について批判的に跡づけた、下田城玄「倉橋由美子の『反世界』―『パルタイ』などをめぐって―」、また、浦野春樹「北条元一さんの仕事は何を読めば面白いか」なども重要なものであった。
 最近の長編完結作については時宜を得た論評がおこなわれ、個別の作家・作品論の試みや近・現代文学研究会での報告をまとめた諸論考も貴重な仕事であった。しかし総じて見たとき、日本文学の動向や、民主主義文学の成果や課題についての論評は十分であったとはいえない。民主主義文学の批評活動は、文学が直面している危機的な事態の本質や打開の方向の探究などもふくめて、現代文学全体に関わる論及に力を注いでいく必要がある。前大会幹事会報告は、「創造と批評は、より積極的な作品を生み出す車の両輪である。批評が活発になって実作をけん引し、新たな創造成果がさらに批評を刺激するという相互の実りある関係を、私たちは誠実に探究 しなければならない」と結んでいる。この観点は、危機の時代に拮抗する作品創出が求められているいま、民主主義文学運動における批評の仕事として、とりわけ重要である。自らの生き方とも関わる批評のモチーフの醸成により、文学運動における評論分野の諸課題と統一的に発展させていく、意欲的な挑戦が大切になっている。
 この間、一九九〇年代に書かれた著者の評論・エッセイ・ドイツ旅日誌をまとめた佐藤静夫文芸評論集『八月からの里程標』や、阿部誠也『評伝 津川武一』、山中光一『文学史を考える―マクロ的アプローチ』などが刊行された。
 今日の民主主義文学運動の創造・批評の発展に即して、また、いま現れている動きにも広く目を向けながら、プロレタリア文学ならびに多喜二・百合子研究を深めていくことは重要である。宮本百合子没後五十五年特集では、大田努「アメリカ軍占領下の宮本百合子」、稲沢潤子「『道標』の足跡をたずねて」などの論考によって、百合子の業績を現代に問いかけた。小林多喜二の評論では、北村隆志「『党生活者』の弁証法 ――『私』と『物語』をめぐって」があった。昨今、多喜二への関心の高まる傾向が見られ、『「文学」としての小林多喜二』(『国文学解釈と鑑賞』別冊・至文堂)なども発行された。多喜二論では、絶対主義的天皇制下ですすんで共産党員となった事実の文学的意義について、より深い研究が求められており、民主主義文学運動におけるこの点での役割は小さくない。プロレタリア文学運動が存在し、たたかい、創造活動をつづけていたことを発掘検証した、第四回手塚英孝賞の猪野睦『埋もれてきた群像 ―高知プロレタリア文学運動史―』も記憶に残るものであった。
 第九回大会(一九八一年)に結集基準として提起された、「民主主義文学とは、さまざまな対象を社会の民主的発展の方向をめざしてリアルにえがく文学である」は、曲折を経ながらも、創造の発展に積極的な役割を果たしてきた。日本文学の現状のもとで、「民主主義文学とは何か」という点への新たな関心が寄せられている。第二十回大会の規約改正により、会の目的と性格は、「日本文学の価値ある遺産、積極的な伝統を受けつぎ、創造、批評、普及の諸活動を通じて文学、芸術の民主的発展に寄与することを目的とする作家・評論家を中心とした団体」とされた。前大会幹事会報告は規約改正の持つ意味について、「平和と民主主義、日本社会の民主的発展のために貢献することを当然の前提にしつつも、それらの課題を形象、表現を通じてどのように作品世界に結晶するかは、単純化を戒め、性急な一致を求めず、なによりも文学作品としての深さ、大きさをこそ追求していくという見地に立つものであった」と指摘している。
 この国の文学状況は、政治の反動化のもとで、近代文学の成立以来、文学者が営々として築いてきた過去の遺産を放棄し、退嬰的退廃的、かつその場かぎりの商品価値とする傾向を極度に押しすすめている。この現状と真摯に向き合い、過去の成果の上に立脚し、地についた創造が成されることが、民主主義文学において強く求められている。規約改正から四年たった今日、「社会と人生の真実」を多様な作品世界にどのように結晶させていくのか、民主主義文学運動の新たな到達をふまえて、時代状況にふさわしく「民主主義文学とは何か」についての討論を深めていく必要がある。

三、文学をもとめる広範なエネルギーの結集を

(一)創立四十周年の年が、「九条・憲法を守れ」の声の大きな高まりを生み、民主主義文学会の創造と批評、組織の力強い発展の契機となるよう力をつくすことを申し合わせて、私たちは諸行事に取り組んできた。会の外に広く目を向けて積極的に運動を広げていったことに、成功の要因があったと考えられる。日本図書館協会選定図書に選ばれた、『時代の波音』、『小説の心、批評の目』の記念出版は、刊行委員会の努力により、共にタイムリーで的確な企画となった。これまでのところ、『時代の波音』については二千二百部、『小説の心、批評の目』については千九百部の普及に達している。文学を学ぶテキストにふさわしい二つの書として、宣伝・普及の両面で力をつくした、文学会全体の努力が実を結んだものである。
 創立四十周年を記念した文芸講演会(講演・森与志男、辻井喬、鼎談・右遠俊郎、旭爪あかね、新船海三郎)は、近年では最高の来場者数四百十人(三十五周年は、約二百九十人)に達し、今日の情勢や文学状況に相応しい活気に満ちたものとなった。いつわりの言葉で政治が操られ、戦時下に逆戻りするかのような閉塞感のもとで、人間とは何なのかを、あらためて考えてみたいという心ある人々の要求が、行動となって現われたと言えるだろう。他にも文芸講演会は、各地で積極的に取り組まれた。関西(講演・金石範、参加者七十人)、名古屋(講演・森与志男、参加者百四十人)札幌(講演・ノーマ・フィールド、参加者百人)、新潟(講演・澤田章子、参加者四十人)、弘前(講演・田島一、参加者五十人)、秋田(講演・澤田章子、参加者七十人)、東京・板橋(講演・旭爪あかね、参加者四十人)などの開催によって、新しい層へのつながりの糸口ができたことが教訓としてあげられる。
 四十周年を記念して文学会は、支部誌記念号の発行を呼びかけてきたが、札幌、秋田、新潟、埼玉県南、埼玉西部、杉並、みず、東久留米、横浜、奈良、大阪、北大阪、文華、阪神、広島、福岡、三池、弘前(特集・憲法九条を守る)、盛岡(特集・戦後六十年に思う)、多摩東(支部四〇年の歴史)、名古屋(八〇号特別記念号)、板橋(『城北文芸短篇撰 第二集』の刊行)などの支部がこれに応えて発行し、普及にも力を発揮した。
 百合子没後五十五年にあたって、従来のように「記念の集い実行委員会」方式による集会がおこなわれなくなったが、私たちは、百合子の文学の継承を四十周年記念行事の一環として位置づけるとともに、多喜二・百合子研究会、婦人民主クラブ(再建)に共催を呼びかけて集いを企画した。森まゆみ、澤田章子、浅尾大輔の講演ならびに発言は、それぞれ参加者の関心によく応えるものであった。初めての開催で多くの困難はあったが、四百七十人の参加により成功させることができた。三団体共催で取り組んだ意義は大きく、文学に向ける多くの参加者のエネルギーを見たという点でも収穫は大きかった。

(二)民主主義文学会の組織は、前大会以降に漸減傾向が続き、準会員が二十五人、『民主文学』読者が百二十人の減少という厳しい事態を迎えている。これは、文学会の運営上からも見過ごせないもので、増やさなければ減るという関係を直視し、持続的拡大に取り組んでいく必要がある。この減少は、経済的な事情からやむなく退会や購読停止の人たちが生み出されるという、国民の生活のすべてに犠牲を押し付ける悪政と密接に結びついたものでもあるが、日本文学の現状を見たとき、民主主義文学の果たす役割は重要であり、文学運動としていっそうの力を発揮し、増勢への転換が求められている。
 ①文学運動における支部活動は、創造・批評を相互に励まし、研鑽をつむ独特のものとして、今日いっそう発展させなければならない。この二年間全国の支部は、支部誌の発行の継続や独自の出版、また文芸講演会の開催などを通して民主的文学の普及に大きな役割を果たしてきた。地方において文学・文化運動の欠かせない一翼を担っている支部も少なからずある。しかし一方で、休止状態にいたった支部も生み出しているのが率直な現状である。会を活性化させるには、創造・組織活動の両面で、支部が生き生きとする状況をつくりだしていくことが大事であり、そのために、地方別・支部懇談会ならびに支部への訪問活動に取り組んできた。スタートを切って間もないが、困難な支部への具体的な援助もふくめて、今後全国的規模で展開していく計画である。
 ②文学教室、文学講座、創作専科の開催は、会外の文学愛好者への呼びかけ、および支部の活発な活動に結びつくという点でも重要である。この間、東京、関西、東海はもとより、従来行われてきた東北地方においても、新たに盛岡、秋田で文学教室開催の運びとなり、活気を生み出している。また伊豆の文学学校、北海道でも支部員の自発的努力によって開催が実現し、新たな拠点になろうとしている。こうした文学教室のなかから新しい書き手が登場したことも注目される。「作者と読者の会」が最近、多くの参加者により盛況を呈していることや、第十九回全国研究集会が、地元秋田支部、東北の各支部の積極的取組みにより、百人を超える参加者の研究集会となったことなどからも、文学会全体としての創造に向かう積極的姿勢を見ることができる。このことは、組織的前進の可能性を示すものであり、会員・準会員や新しく加入する人の創造意欲を作品に実らせていく取組みを重視しながら、組織拡大を進めていくことの大切さを教えている。
 ③懸案の若い世代を迎える活動については、「若い世代の文学カフェ」の東京開催に加えて、関西地区でも新しく開かれるなど、広がりがみられた。地方に住む若い世代の書き手の創作活動を励ますために、全国の青年会員・準会員が一堂に会する場を検討していく必要がある。このようなつながりをとおして、文学会内の若い世代のネットワークを築くことにより、たがいに刺激しあう日常的な交流を深めていくことも大事である。文学会の年齢構成は現在、五十代以下の会員が全体の二一%、同じく準会員の場合には三四%という実態となっている。これらの年齢層の人たちが多く会に参加するよう、私たちの文学運動は特別に力を注がなくてはならない。いま、いわゆる団塊の世代が定年を迎え、第二の人生を歩みだそうとしている。企業を離れ、自己の人生を歩もうとしている彼らに文学への希求は強い。この人たちの要求をあまさず文学会にとりこみ、力としていくことは当面の課題である。関東地区においては、組織部が中心となって昨年末、「六〇年代から七〇年代初めに青春を体験した人たちの懇談会」を立ち上げて、これまでに二回開催し新たな広がりの可能性を探ろうとしている。
 民主主義文学の情報発信・宣伝の場として、文学会外の協力も得て、ホームページを充実させてきた。現在は、インターネット上から文学教室への参加を申し込んでくる時代となっている。若い世代の閲覧を視野に、より魅力的なホームページとするための更なる努力が求められている。

(三)文学会の財政は、準会員、読者の減少という事態のなかでも、四十周年記念行事の成功を基礎に、一時的にはよい結果を得ることができた。しかし加入員の減少による不安定な状態が続いていることに変わりはない。会員・準会員・読者を増やし財政の基盤を強化することが何より重要である。組織活動強化募金に寄せられた、三百万円を超えるカンパは、民主主義文学への熱い期待と激励が示された貴重なものであり、有効に活用し組織強化の実現で応えていくことが大切である。
 前大会期に滞納対策が不十分だったために、多額の滞納金を抱えることになった。組織整理により、一挙に準会員、読者の減少という結果を生んだことについては、常時正確に実態を把握するという点で大きな問題を残した。滞納金回収の引き続く努力とともに、滞納を増やさないこまめな事務処理が肝要である。会費・購読費の前納については引き続き協力をお願いしていくことや、文学会の組織実態に見合った適正な予算を確立し、支出規模のスリム化に努めなければならない。また、昨今の状況の推移にともない、文学団体にふさわしい形態として、非営利法人化の検討を進めていく必要がある。

 世界はいま、新しい変化をともないながら発展の渦中にある。他方で、こうした世界の動きに逆行し、歴史的岐路に立つこの国の危機的な現実がある。時代の本質と人間の真実を、今日、日本文学はどう映しとっていくのか、問われているものは重い。この混沌とした時代に、私たちはなぜ文学創造に向かっていくのか。それは、明日を生きぬく人生の支えとも励みともなるような、文学でなければ為し得ない大きな意味と魅力が、そこにあるからである。未曾有の危機の時代に、民主主義文学運動の前進が、今日ほど切実に求められ、ためされているときはない。創造と批評、組織と運動のより高い峰に向かって、私たちは新たな気概を持って力強く歩んでいくものである。
 
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