日本民主主義文学会第24回大会宣言

 3月11日に起きた東日本大震災は5月6日現在、死者14,841人、行方不明者10,063人、避難を余儀なくされている人は119,967人という、多大な犠牲と苦難をもたらしています。震災を起因としつつも人災としかいいようのない福島第一原発事故による県外への避難者も三万人を超えています。私たち日本民主主義文学会は、震災で命を奪われ、また被災されたみなさんに、心から哀悼の意を表し、お見舞いを申しあげます。
 史上最大規模の地震と津波は、人々の心に深く大きな傷を残しただけでなく、今後の産業構造や集落の立地をどうするか、東京一極集中の他方で過疎と高齢化をしわ寄せられた地方の格差はそのままでよいのかなど、旧来に復することでは解決のつかない問題を突きつけています。「安全神話」の虚構のうえで展開されてきたエネルギー政策と大量消費文明はこれでいいのかと、福島第一原発事故は生活と人のありようの根本を問うています。
 こうした事態を前に、私たちの文学はどうあればよいのでしょうか。生きるとは何か、人間の尊厳とは何か、社会とは何か、国家とは何か、文明とは何か。問いは痛切に私たちに迫ってきます。
 あったものの多さや大きさをえがいて、なくしたすべてを語ればよいのか、なくしたものを一つひとつ数え上げ、その意味と内容をえがいて、あったものへの思いをひろげればよいのか。答えは単純ではありません。文学が生活や生き方の反映であってみれば、3・11東日本大震災と福島原発事故は、それを旧来のままにしておいてよいのかと問いかけてきているからです。
 私たちは、あたらしい言葉をつむぎ、その創造・批評の言葉が、震災から起ちあがっていこうとする人びとの心と響き合い、つながっていくことを願います。
 私たちの先輩は六十数年前、敗戦後の廃墟に立ち、広島・長崎を二度と繰り返さないと反核、反戦・平和・民主主義を文学の根底にすえました。それに倣い、いま私たちは3・11大震災、「フクシマ」を私たちの文学の底に重くしずめようと決心します。私たちは、3・11、「フクシマ」から私たちの生きているありようと文学を照らし出し、一所懸命、いいものを書いていこうと思います。そのことは、いま私たちの文学運動がかかえている組織的課題を打開する大きな力ともなることでしょう。
 3・11大震災、「フクシマ」から新たな文学創造へ――は、私たちの思いであるとともに、これがこの国の文学を愛し、読み、書く、すべての人たちのものとなることを心から願います。
 その新たな文学創造の方向は、混迷と模索の続く現代社会で、多くの人々が求めてきた人間の生き方と社会の真実を追求する文学、真の明日を考察する文学に重なります。わたしたちは新しい現実に新しい批判の目をもって真向かい、創造批評の一層の前進のために全力をあげることを決意します。

  2011年5月8日
日本民主主義文学会第24回大会   


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