十五日は、おそめの御飯が終るか終らないうちにサイレンが鳴った。
「小型機だよ! 小型機だよ!」
 十二歳の伸一が亢奮(こうふん)した眼色になって、駈けだしながら小さい健吉の頭に頭巾をのせ、壕へつれて入った。三日ばかり前この附近の飛行場と軍事施設とが終日空爆をうけたときも、来たのは小型機の大編隊であった。
「母さん、早くってば! 今のうち、今のうち!」
 小枝が病弱な上の女の児を抱いて一番奥に坐り、一家がぎっしりよりかたまっている手掘りの壕の上には夏草が繁っていた。健吉が飽きて泣きたい顔になると、ひろ子はその夏草の小さい花を採って丸い手に持たせ、即席のおはなしをきかせるのであった。この日は、三時間あまりで十一時半になると、急にぴたりと静かになった。
「変だねえ。ほんとにもういないよ」
 望遠鏡をもって、壕のてっぺんからあっちこっちの空を眺めながら、伸一がけげんそうに大声を出した。きのうまでは小型機が来たとなったらいつも西日が傾くまで、くりかえし、くりかえし襲撃されていたのであった。
「珍しいこともあるものねえ」
「昼飯でもたべにかえったんだろう。どうせ又来るさ」
 そんなことを云いながら、それでも軽いこころもちになって、ぞろぞろ壕を出た。そして、みんな茶の間へ戻って来た。
「御飯、どうなさる? 放送をきいてからにしましょうか」
 きょう、正午に重大放送があるから必ず聴くように、と予告されていたのであった。
「それでいいだろう、けさおそかったから。――姉さん、平気かい?」
「わたしは大丈夫だわ」
 伸一が、柱時計を見てラジオのスイッチ係りになった。やがて録音された天皇の声が伝えられて来た。電圧が下っていて、気力に乏しい、文句の難かしいその音声は、いかにも聴きとりにくかった。伸一は、天皇というものの声が珍しくて、よく聴こうとしきりに調節した。一番調子のいいところで、やっと文句がわかる程度である。健吉も、小枝の膝に腰かけておとなしく瞬(まばた)きしている。段々進んで「ポツダム宣言を受諾せざるを得ず」という意味の文句がかすかに聞えた。ひろ子は思わず、縁側よりに居た場所から、ラジオのそばまで、にじりよって行った。耳を圧しつけるようにして聴いた。まわりくどい、すぐに分らないような形式を選んで表現されているが、これは無条件降伏の宣言である。天皇の声が絶えるとすぐ、ひろ子は、
「わかった?」と、弟夫婦を顧みた。
「無条件降伏よ」
 続けて、内閣告諭というのが放送された。そして、それも終った。一人としてものを云うものがない。ややあって一言、行雄があきれはてたように呻いた。
「――おそれいったもんだ」
 そのときになってひろ子は、周囲の寂寞(せきばく)におどろいた。大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂(せき)として声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これ迄ひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。ひろ子は、身内が顫(ふる)えるようになって来るのを制しかねた。
 健吉を抱いたまま小枝が縁側に出て、そっと涙を拭いた。云いつくせない安堵と気落ちとが、夜の間も脱ぐことのなかった、主婦らしいそのもんぺのうしろ姿にあらわれている。
底本:「宮本百合子全集 第六巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十巻」河出書房
   1952(昭和27)年6月発行
初出:第1~11節「新日本文学」
   1946(昭和21)年3月創刊号(第1節)
            4月第二号(第2~5節)
            10月第五号(第6~11節)
   第16・17節「潮流」(「国道」と題して発表)
   1947(昭和22)年1月号
   第1~17節「播州平野」河出書房
   1947(昭和22)年4月
※「B29」の「29」は縦中横。
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年6月25日作成
2003年7月5日修正
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