お知らせ
多くのみなさんにご来場いただき、集いを成功させることができました。
 
―― 特高警察に虐殺された小林多喜二 ――
没後75年、生誕105年
多喜二の文学を語る集い

3月15日(土) 開演:1時30分(開場:午後1時)
みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)池袋駅東口徒歩5分地図
「3.15速報 第2号」

講演    いま多喜二の文学読む     …………祖父江昭二
講演    小林多喜二の文学と私     …………朴 眞秀
青年トーク 『蟹工船』を語る ……浅尾大輔と首都圏青年ユニオン組合員
講談    小林多喜二の母        …………宝井琴桜           
司会:津田京子(劇団民藝)
ごあいさつ  吉開那津子
 2008年は、小林多喜二が亡くなって75年目の年です。この年を記念して、日本民主主義文学会は、「多喜二の文学を語る集い」を開催することにしました。
 多喜二の文学は熱烈な愛好者によって、今日まで読み継がれて来ましたが、日本の近代文学の歴史の中で、その文学的価値がかならずしも正当に評価されては来なかったように思います。しかし昨今の日本の行き詰まり的混乱の中で、多喜二の文学は新しい読者を獲得しつつあるようです。
 この機会にもう一度、多喜二文学の魅力について語り合いたいと思います。皆様には、お知り合いの方に声をかけていただいて、みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)にご参集いただきたいと思います。
 (作家。日本民主主義文学会会長)              


講演
 いま多喜二の文学を読む
祖父江 昭二 (そふえ・しょうじ)

 和光大学名誉教授。1927年生まれ。東京大学文学部卒。著書:『近代日本文学への探索 その方法と思想と』(未来社)、『二〇世紀文学の黎明期 「種蒔く人」前後』(新日本出版社)ほか。

 ―― 21世紀という新しい時代の中で耳を傾けてみたい ――

 小林多喜二はよく語られてきた作家である。1920年代後半から30年代前半にかけてくりひろげられてきた「プロレタリア文学」の運動の中で作品を発表したあと、1980年代に刊行された全41巻の『日本プロレタリア文学集』(新日本出版社)に収められるまで、一度も再発行されたことのないプロレタリア文学者は多勢いた。むしろそういう文学者の方が圧倒的に多かった。
 そんな中で多喜二は、あの「死」に抗議する意をこめた労農葬(1933・3)の直後、その全集の出版が企画され、弾圧のため一冊刊行されただけだったが、それを受け、三巻本の全集が戦前、ナウカ社から刊行された。
 戦後は、これまで四回、全集が刊行されている。それにともない「小林多喜二」を書名にした評伝や評論集なども数冊は刊行されている。
 21世紀という新しい時代を迎えた今日、こういう多喜二をめぐる研究の蓄積をふまえながらも、ぼくは先入観を持たないで、もう一度、多喜二の作品に正面切って向い合い、多喜二の作品そのものがいま、ぼく、あるいはぼくたちに何を語りかけてくるのか、耳を傾け、そのことの意味を探ってみようと思っている。
 こういういとなみの軌跡が、それを聞いて下さる若い方たちにどう受けとめられるのか、見当がつかない。しかしぼくは、ぼくなりに力を尽すしか仕方がないと自身に言い聞かせ、少なくとも「集い」のある3月15日まで怠ることなく勉強していきたい。  
(2007年11月30日)  



講演
小林多喜二の文学と私の青春

朴 眞秀
 (パク・ジンス)

 来日講演が決まった韓国暻園大学教授朴眞秀氏は、1965年、ソウル生まれ。韓国高麗大学文学部卒。日本文学専攻。東京大学大学院総合文化研究科、博士。論文「小林多喜二『一九二八年三月一 五日』とプロレタリア・リアリズム論―視点技法としての『前衛の目』」ほか。

 日韓で注目されている多喜二研究者
    ―― 多喜二文学とソウルの青春 ――

 1965年にソウルで生まれた、暻園大学・日語日文学科教授の朴眞秀(パク・ジンス)さんは、数少ない韓国の多喜二研究者のお一人です。今回、私たちの「集い」のために、特別に来日いただくことになりました。
 朴さんが小林多喜二に関心を抱くようになったのは、高麗大学を卒業された1980年代後半だそうです。学生運動が盛んで、韓国が「歴史の新しい局面を開いた」激動の時代でもありました。軍事独裁政権のもとで、国民の誰もが真の民主主義と自由を求めていた、その願いは1987年の民主化闘争に結実し、労働運動の発展へとつながっていきます。
 当時朴さんは、青春の真っ只中にいました。大学卒業後、革製品を輸出する貿易会社に勤めたことがあるそうですが、本社の社員として下請け工場に行ったとき、農村から出てきた十代の労働者の悲惨な実態を目にして、「現代の奴隷制度」のなかに彼らがいるように思えたといいます。
 そうした現実に直面し、朴さんはこの頃からソウルにある日本文化院の図書室に通い、日本のプロレタリア文学作品を読むようになります。その後1990年に高麗大学の大学院に進学し、修士論文で小林多喜二を取り上げようとしたとき、指導教官は「将来就職に不利ではないか」と心配されたそうですが、労働の現場での体験とプロレタリア文学から与えられた「勇気と意欲」で初志を貫徹し、「小林多喜二のプロレタリア・リアリズムの受容に関する考察」としてまとめました。
 その後1994年に東京大学大学院に留学し、修士・博士課程で論文を執筆されますが、研究対象は横光利一・二葉亭四迷・夏目漱石へと及んでいきます。しかし朴さんは、六年間の留学から大学で教鞭をとる現在まで、「研究を支えている問題意識の核心に、小林多喜二は関わってきた」と、強い思いを述べられています。
 多忙な日々にもかかわらず朴さんは、私たちの依頼に快く応じてくださいました。青春期の多喜二文学との出会いから、80年代の韓国の状況などにもふれて、流暢な日本語で、あますところなく語っていただけることでしょう。
(田島 一)  
(参考・『小林多喜二生誕100年・没後70周年記念シンポジウム記録集』東銀座出版社、2003年、
     『生誕100年記念小林多喜二国際シンポジウムPARTⅡ報告集』東銀座出版社、2004年)


 
青年トーク 『蟹工船』 を語る
浅尾大輔と首都圏青年ユニオン組合員

 作家の浅尾大輔さんを囲んで、首都圏青年ユニオンの組合員二人が、『蟹工船』について語り合います。
 2003年、小説「家畜の朝」で新潮新人賞を受賞した浅尾さんは、1970年生まれの民主主義文学気鋭の書き手です。4年間、労働組合の専従者として、若い組合員の労働相談に応じ団体交渉などに取り組んできた体験をもとに、『論座』11月号(朝日新聞社)に「失われた『連帯』を求めて」を書き、青年労働者に連帯を呼びかけています。
 「私たちの生きているこの時代は土砂降りの雨だ。髪は濡れ、足場はぬかるんで一歩も前に進むことができない」と、若者たちは叫んでいます。
 今から79年前、多喜二が26歳のときに描いた『蟹工船』の世界を、現代青年はどのように読むでしょうか。新鮮な語り口が見もの、聞きどころです。



 講談   小林多喜二の母 (三浦綾子 『母』 より)
 
宝井 琴桜 (たからい・きんおう)

 1968年、田辺一鶴に入門。のちに五代目宝井馬琴門下となる。1975年、女性初の真打昇進。1996年‘95年度東京女性財団賞受賞。古典の他、歴史上の女性を創作講談として自作自演。『平塚らいてう』、『与謝野晶子』など多数。

 ――女流講談の第一人者・宝井琴桜さんの口演が楽しみ――

 宝井琴桜(たからい・きんおう)さんは、多喜二とおなじ秋田の生まれで、横手市の出身です。一九六七年に上京し働いていましたが、翌年、講談師を志し田辺一鶴に入門します。飛び込んだ当時のこの世界には、女性の先輩は一人もいなかったそうです。
 その後、五代目宝井馬琴の門下となり、内弟子として本格的な修業を始めます。以来、6年を経た1975年に女性初の真打に昇進し、1996年には九五年度東京女性財団賞、2002年に横手市文化功労賞を受賞されます。
 最近は古典のほか、各地の伝説や歴史上の女性(与謝野晶子や平塚らいてう)を創作講談として取り上げ、自作自演。特に、現代の女性問題や男女共同参画をテーマに語る、「山下さんちの物語」シリーズに力を入れ活躍されています。
 三浦綾子『母』を素材にご自身でつくられた「小林多喜二の母」は、1996年10月、大館市における小林多喜二文学碑除幕記念イベントで初演されたものです。今回は、宝井琴桜さんの特別のご協力により、集いでの口演が実現しました。同郷の多喜二とセキさんへの思いが存分に発揮され、観客を魅了してくれることでしょう。


 チケット発売中   1,500円(当日券1,700円)

主催:日本民主主義文学会/多喜二・百合子研究会
協賛(順不同):文化団体連絡協議会/全国労働組合総連合/治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟/日本民主青年同盟/全日本学生自治会総連合 後援:新日本出版社 

  お申し込みは  日本民主主義文学会   
   電話 03-5940-6335 FAX 03-5940-6339
   E-mail: info@minsyubungaku.org
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